友人に九州出身の元高校球児がいた。中学の時から目指すは甲子園。だから進学のため普通科の進学校を薦める親の強い反対を押し切り、野球強豪校、県立の工業高校に進んだ。

そんな彼が苦しかった野球部時代の話しをしてくれたことがある。
正月休みもない厳しい練習の毎日。1〜2年時は希望する外野のレギュラーポジションなど夢のまた夢だった。
そして最後の3年生となった。春の新チームでもレギュラーは取れなかった。夏まで死ぬ気で練習し、自分を鍛えた…
でも最後もダメだった。甲子園県予選直前の背番号発表。ついに監督から名前を呼ばれることはなかった。
ベンチにも入れない。控えにもなれなかった。アタマの中は真っ白。どうやって自転車をこぎ家に辿り着いたか記憶にない。
ご飯も食べず、いつもの街灯の下で夜中まで何時間もバットを振り続けた。もう2度とバッターボックスに立つこともないのに…
雨の日も風の日も早朝から2食分の弁当を作ってくれた母親にも申し訳なかった。涙が止まらなかった。

県地区予選。背番号の無いユニホームは惨めだった。でも下級生たちとメガホンを持ち、スタンドから声を枯らして応援した。
チームは1回戦から順調に勝ち進み、ついに決勝。勝てばもちろん甲子園だ。
憧れの甲子園、夢の甲子園ー。
でも彼にとってはスタンドにいることで、甲子園はもうただの夢に終わっていた。
チームが出場できても自分はバッターボックスに立つことも、球場を駆け抜けることすらできないのだ。
冷酷な現実。すると決勝になり彼の心の中の悪魔がささやき出した。
『勝たなくていい。負けろ!』って。
フライが上がり仲間がグラブを構えたら『落とせ!』。友が打席に立てば『三振しろ!』と。酷いよね。
逆に相手チームのタイムリー安打には心の中で拍手をする死ぬほど嫌な自分がいた。
ゲームセット。僅差で負けた。そしてなぜか負けでホッとした自分がいた。
泣きじゃくるチームメイト。自分はもちろん涙も出なかった。でも友のその姿を見て、やっと我に返った。
彼はレギュラーの友がまぶしかったのだ。そして甲子園へ行けばこいつらはもっとキラキラと輝くんだ。俺だって一緒に練習したのにと。

友への激しい嫉妬心のようなものだった。だからチームが甲子園の道が断たれた時、抱えていた重いものがスッと消えた。
凄い話しだなと思った。彼は私以外、誰にも話したことはなかったと言った。
彼は自分の小ささを20年間、ずっと悔いていたが、そうじゃない。
その思いは一瞬だけ屈折したかもしれないけど、青春の大切な時間を1つのことに賭けた証に違いない。
野球の神様はわれに返った彼に、きっと微笑んだと思う。
球児の数だけドラマはある。だから高校野球は皆んなの胸を熱くするんだろう。
間もなく各地で予選が始まる。
もりもとなおき