法律家と一般人の感覚のズレは量刑に現れる
裁判の被告に対する量刑はわれわれ一般人の感覚とプロの法律家である検察官、弁護士、裁判官では全く異なることが多い。
そういう意味で裁判員裁判は、杓子定規な法律判断だけでなく、事件に対する普通の人の怒りや悲しみが少しは届くのではないか、量刑に少しは影響あるのではないかと、発足時からかなり期待していた。
多くはプロに引っ張られているケースは多いが、たまに明らかに裁判員の思いが入った判決もあり、趣旨が生きていることにひと安心することがある。
裁判員も苦しんだ"あおり運転裁判"
ここ10日間ほど注目をあびたのが、神奈川県大井町の東名高速で昨年6月、あおり運転で停車させられたワゴン車が、後続のトラックに追突され夫婦が死亡した事故に絡み、自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)などの罪に問われた石橋和歩被告(26)に対する裁判員裁判だ。
大事故に直結した石橋被告の行為が、果たしてこの罪に問えるのかが注目されたが、横浜地裁は14日、危険運転致死傷罪を認め、懲役18年(求刑・懲役23年)を言い渡した。
一般からは死刑が妥当の声も多くあったほどの事件。求刑23年に対して8掛けの18年は少ないとの声がもあるが、危険運転致死傷を裁判所が認定したことが何より大きな前進だった。
裁判員の皆さんも、相当なご苦労の末の判決だったと推察しました。
強姦、幼児わいせつ、虐待などあまりに量刑が軽すぎだ
一般的に女性に対する強姦などの暴行、幼児に対する暴行、強制わいせつ、子どもへの親の虐待事件は、本当に罪が軽すぎるとずっと思ってきた。判決後の世論でもそんな声が圧倒的に多い。
ことしの東北方面の事件だが、小学6年生が卒業式の夜、父親のクルマに乗って父親を待っていたら見知らぬ男がクルマごと少女を誘拐。すぐに強姦した事件があった。
これが判決はわずか11年。本人や親にしたら死刑にしても足らないくらいだったと思う。
近ごろはやっと世論の声を少しは踏まえ、求刑自体、大きくなりつつあるが、どういった判断でこんな軽い求刑になるのか?なぜこんな軽い判決を出すのか?腹立たしさでいっぱいになることもある。
まだまだ普通の人たちと検察官、裁判官との間に、大きな隔たりがあるのが現実だ。
これらは被告の余罪の多さ、再犯率の高さ、そして被害者の心に与えるダメージは、殺人と同等と言っても過言ではないと思う。
検察官、裁判官には法令を最大限に適用し、さらなる厳しい対応を強く望みたい。
もりもと なおき