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あのバブルの時代はなぜデュエット曲が流行ったんだろうか?

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みんな夢を見ていたバブルの時代

バブル期は1986年12月から1991年2月とされている。私も若かったし地方都市でもバブル景気で歓楽街は浮かれまくっていたから、毎晩のように夜は出動していた。

徳島の歓楽街はごく狭い地区に約800軒ものスナック、ラウンジ、クラブ、小料理屋がひしめいていた。
街を歩くと肩が触れ合うほど。贔屓の店はドアを開けるといつも客でいっぱい。ママが『もーさん、ごめ〜ん』と、飛び出してくることが多かった。

カラオケも全盛期。毎晩、何曲歌っただろうか。当時、街で良く流行っていたのは水商売の女性の心模様を歌った演歌。
あとバブル期前から急速に流行りだしたのは男女が歌うデュエット曲だった。

 

デュエット曲がなぜか流行ったあの時代

しかしなぜバブル期はデュエット曲が流行ったんだろうか。
当時、どの店に入っても出会った客は不動産や建設業の社長さん。遊び方を見ても相当、派手でカネが有り余っているような人もいた。
だから水商売の綺麗な女性を彼女にするのも、金満のオヤジたちのステイタスだったのかもしれない。こんな訳で自分の先輩や知人も、スナックやラウンジに彼女がいる人がたくさんいた。

で、飲みに行くと先輩によく言われたのは
『チークダンスが踊り易いを歌ってくれ』と。

それにはやはりデュエット曲が最適。恐らくこんな感じでデュエット曲が大流行したのだと推測する。

バブル期と相前後するのもあるが、

3年目の浮気、別れても好きな人、居酒屋、もしかしてPARTⅡ、男と女のラブゲーム、北空港、今夜は離さない、なにわ恋時雨、愛が生まれた日…

 

こんな曲をよく歌った、歌わされたような。なにわ恋時雨など、お気にのホステスさんと歌ったら、大いに盛り上がったものだ。

もちろん私もチークダンス好きでしたが、女性の芳しいコロンの匂いが服に移るのが難点。

深夜帰宅すると翌朝、家内に『夕べも外でいい匂いさせてきて良かったね』と、イヤミを言われたものでした。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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