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あのピーピー音に悩まされたことも。ポケベルが半世紀の歴史に幕を

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何と!まだあったとは!

ポケットベルが来年9月、50年の歴史に幕を閉じるとか。まだあったことに驚いたが、東京テレメッセージが首都圏だけで、細々とサービスを続けていたようだ。生き残っていたのは1500台。製造は20年も前に終わっていたという。

個人的には初期のポケベルは大嫌いだった。新聞記者になると直ぐに持たされた。一方通行で音が鳴るだけ。発信元は一か所と決まっているのでそこへ公衆電話を探して電話した。

初めてもたされた機種

営業マンならたぶん営業課長席かな。われわれ新聞記者はデスクのところ。大慌てで公衆電話を探し、デスクにかけたら『おう、元気か?特に用事ないんやけどな』って。
殴ったろか!

嫌なヤローがデスク当番の日は、しつこく鳴ってもしかとするに限った。"便りのないのが良い便り"って、このバカ分からんのかって。

 

機種の進歩でコミュニケーションのツールに

発信元の電話番号が入るようになったのは次の世代機種から。友人、知人、取材先にも番号を教えておいたから、生活への利便性は飛躍的に上がった。
名刺にもPBとして番号を入れたり(笑)

若者らが0840(オハヨー)とか14106(愛してる)とか、数字でメッセージを交換し出したのはこの機種から。iモードメールが登場するまでの重要なコミュニケーションツールとなった。
国分万理の『ポケベルが鳴らなくて』が流行ったのも、この頃でした。

次世代は数字でメッセージを送ることができた

さらに次の機種は数字の組み合わせで簡単な文字メッセージまで送れるようになるなど、画期的な発展を。
でもこの頃からケータイにとって代わることになり、急速に衰退していったと、思います。

しかしあのピーピーいう音はイラつくことが多かったような気がします。条件反射的に好かんデスクが浮かんできたりした。

半世紀もお疲れ様でした。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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