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いつも闘っていた昭和の新聞記者の熱さ

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『縁の下やロッカーに隠れ特ダネをとった小柄な平野先輩のとてつもない取材力』

私の駆け出し記者の2年間。仕事から酒、女、風俗、バクチ、暴力団の取材まで教授し鍛えてくれた。社会派記者としてのスキルを身につけることができたのは、平野淳輔先輩(2017年10月死去)のおかげだ。
新聞記者がいつも熱くていつも闘っている時代だった。

平野さんはどんなに遊んでいても(遊んでいるように見えても)とにかく何でも知っていた。神出鬼没だった。
会社や記者クラブにはいなくても、重大事件はどこからか現場に現れた。

ある殺人事件。犯人の自宅を急襲した刑事らが、まだふとんの中で熟睡していた犯人を揺り起こし、手錠をかけた瞬間の写真が徳島新聞の一面を飾ったことがあった。これは平野さんのとんでもなく凄いスクープ写真!

犯人は寝ぼけまなこ。むっくりと上半身を起こしているが、自分に何が起こっているか飲み込めない様子が逆に臨場感があった。
普通はこんなショット、あり得ない。

なぜその瞬間、平野さんがその場にいたのか誰もが疑問に思った。平野さんは捜査本部の動きを全て把握していたのだ。

その事件は県西部の田舎町の出来事だったから、現地捜査本部は現場近くの神社社務所だった。
平野さんはかなり早い時間から社務所の縁の下に潜り込んで、捜査本部のやり取りを全てメモしていたのだ。
刑事らと一緒に犯人の自宅に踏み込めたのは、日頃の付き合いで固い信頼感があったからできたのだろう。
私のような駆け出しではとても真似できることではなかった。

別の重要事件の捜査会議が県警本部の会議室で行われた時も、平野さんは会議室隅の掃除道具を入れる幅40cm程度の狭いロッカーの中に隠れていた。

しかし1時間くらいで終わるだろうと思ったのが当てが外れ、会議は延々5時間にも。さすがにトイレが我慢できず、ロッカーの外に出た。
『お疲れさん!』と普通の顔で言いながら普通に部屋を出たから、会議室にいた刑事部幹部らメンバーは唖然としていた。

私よりひと世代上の'60安保闘争を闘った世代。そして自身は無頼派を気取っていたが、実は徳島ラジオ商事件の再審裁判では、冨士茂子さんの無罪のために魂を込めて健筆を奮った、人権派の記者でもあった。


ラジオ商事件関係の取材ノートは約40年以上、10数冊が亡くなるまで大切に自宅で保管されていた。

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

morimoto_ naoki72

森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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