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こいのぼりにお母さん鯉が登場したのは昭和中期以降というナゾ

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高いポールは減り、ミニサイズが普及

息子が生まれたら庭に高いポールを立てて、デッカい鯉のぼりを上げると、決めていた。息子が生まれたのは6月だったから翌年の端午の節句まで待ち、狭い庭に念願の高いポールを立て、鯉のぼりを泳がせることができた。

しかしふと気づいたのは毎日、上げたり下ろしたりするのが凄く大変だったこと。結局、3才の子どもの日くらいでやめてしまったような。

私はこだわりのあったこうしたデカい鯉のぼりですが、最近は減ってきているとか。理由は住宅地では隣接地や電線などの関係で、上げたくても物理的に難しくなったようです。
代わって居宅やマンションのベランダに設置するミニサイズの鯉のぼりが求められているとか。

 

鯉のファミリーが登場したのは昭和中期以降

鯉のぼりの由来は、武士の家で男子が生まれると玄関先に家紋のついた幟を立てて祝った習慣からとか。
それが庶民にも広がり、幟の代わりに生命力のある鯉を泳がせる鯉のぼりとなったようです。

ところで鯉のぼりは夫婦鯉と子どもの鯉で1セットが普通です。
しかし童謡『こいのぼり』(昭和4年)の歌は少し違っています。

"大きい真鯉はお父さん、小さい緋鯉は子供たち~♪"の歌詞で分かりますが、どうも最初(昭和初期)はお母さん鯉はいなかったようです。

 

どうも鯉のぼりにも変遷があったようで、
◼️鯉のぼりが誕生した江戸時代は息子に見立てた真鯉1匹(息子の立身出世を願う意味が強かった)

◼️明治から昭和中期は真鯉、緋鯉の2匹
(家長制度という時代背景か、お父さん登場し父と息子の鯉のぼりに)

◼️昭和中期以降から現在は真鯉、緋鯉、子鯉の3匹( 女性の社会進出など家族の価値観が変わり、やっとお母さん鯉が登場し父、母、息子の家庭に )

真相は分かりませんが、やはり昔の鯉のぼりは男中心の社会を反映していたんでしょうか。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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