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なぜ高裁判決、受け入れなかったのか⁈ 大川小津波訴訟

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東日本大震災の津波で児童84人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校ー。当時、現地を訪れて周辺の環境を眺めた時にまず思ったのは、先生たちはその時、いったい何をしていたんだ!との、憤りにも似た思いだった。2度目に訪れた時もその思いをいっそう、強くした。

宮城県と石巻市が上告

先日、この大川小学校津波訴訟で仙台高裁は遺族の訴えをほぼ全面的に認め、総額14億4000万円の支払いを市と宮城県に命じる判決を出したばかり。

石巻市や県は、この判決を不服として最高裁に上告した。

もちろんそれは市の提案を受けた石巻市議会の議決次第。結果、上告を認める16人、認めない12人と、残念ながら議会には遺族の声は届かなかった。

高裁判断と被告の反論

この裁判で二審仙台高裁は、「校長らは震災前に校舎周辺への津波襲来を予見できたのに、危機管理マニュアルに避難場所を明記するなどの対策を怠った」と指摘。遺族側の訴えをほぼ全面的に受け入れ、学校や市の震災前の対応の不備が過失に当たると認定した。

これに対し石巻市や県は「そうした対応は専門家でも困難で、それを校長らが予見することは不可能を強いるに等しい」と批判。

校長らが津波のハザードマップの信頼性を独自の立場から検討すべきだったという判断も、「ほかの津波訴訟の高裁判断と異なる」とした。

現場で思ったこと

大震災の年、私は2度、大川小学校を訪れた。初めて倒壊した建物の側に立った時、なぜここで子どもたちが津波にのまれなければならないんだとの、とても悔しい思いだった。

地震発生から津波が学校を飲み込むまで50分。これだけの時間があってどうして?の思い。

そして何より校舎から走れば1〜2分のところに山が。ここへの避難を決めていたら児童も先生も間違いなく、全員が助かったと、確信する。

私同様、大震災後、大川小学校を訪れた人は、100人が100人、同じことを言っているのだ。

直ぐ右手に山がある

大川小学校を学校防災の礎に

県も石巻市も昭和の三陸大津波レベルなら大川小学校には津波が来ないことを公言していたという。逆に考えると、それ以上の大津波への対応は考慮していなかったと言われても仕方ないかも知れない。

そして酷かもしれないが、子どもたちを守るべき教員らがその時、的確な判断ができなかったことにも、重大な責任があると、遺族でなくとも考える。

間一髪、助かった子どもは、当時、グラウンドに児童を整列させたあとの、先生らの混乱ぶりを指摘している。

大半の児童が恐怖の中、「山に逃げたい」と思っていたと考える。

私は議員時代、文教厚生委員会で県教育委員会の幹部らに、『全ての教員がぜひ一度、(自費で)大川小学校に行ってください。そこで学校防災の何かが見えてくるはずだ』と、提案しました。

大川小学校を学校防災の礎とし、子どもたちの犠牲を決して無駄にしてはいけない。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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