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のどかな時代。事件解決への思いはデカもブンヤも同じだった

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『縄張りがあっても刑事みたいな私は現場、フリーパスだった』

事件ができると現場にロープやテープを張って現場保存する。その外側には外勤警察官が立ち部外者が入らないように目を光らせる。新聞や放送の記者、カメラマンもまずロープを越える猛者はおらず、外側から遠目にカメラを回していた。


しかし私は若い時はもちろん、中堅になってからもだいたいロープを潜り現場に入り込んだ。特に注意を受けなかったのだ。

何故なら若い時は徳島県警の鑑識課員と同じ作業服を着て、首からカメラを掛けて現場に。誰が見ても鑑識の捜査員だから、止められるわけがない。

そして中堅になってからは背広に白の手袋だから、誰が見てもやり手の捜査一課幹部だ。
現場を守る外勤警察官には右手を上げて『お疲れ!』と言ってロープをくぐったら、警察官はビシッと敬礼し『お疲れ様でございますっ!』と、難なく入れてくれた。


もちろん現場で捜査に当たる刑事は『とくしんのもーさん』と分かっている。しかし縄張りの中ではわきまえて取材する私に『出ていけ!』と言う刑事はまずいなかった。

言われたのは『もーさん、あとでゲソだけ取っておいてよ』と。
ゲソとは下足で、犯人のものと分別するため私の靴底の足跡をとっておくわけだ。のどかなものだった。

ちなみに鑑識課員の作業服は平野先輩がどこからか調達したものだ。濃紺に胸に『徳島県警鑑識課』と刺繍されていたから、"純正"だ。

後にロープを越えて取材しても咎められなかったのは、日頃から先輩や私が県警本部や所轄の警察官と信頼関係を築いていたからだ。これを"癒着"と批判する哀れなヤツも社内にいたが、こうした努力は一朝一夕でできるものではない。

あと後に若い警察官はわたしをホンモノの刑事と思い込んでいたフシがあるとの話しを聞いた。光栄なことだと、嬉しかった。
古き良き時代というより、今はみんなが余裕が無くなっただけだ。

(毎朝、自宅から写真左の県警本部2階の記者クラブに出勤し、そこから帰宅する日々。社会部長から『そんなに会社が嫌いなのか?(笑)』とたまに電話が。朝は東署で話しをしたり刑事とお茶に行ったり)

もりもとなおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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