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われら世代のベトナム戦争への思いと、高校時代の反戦マスコット

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思春期を左右したベトナム戦争への思い

われら世代はベトナムへの思いが強い。先日、米朝会談がベトナムで行われたことには、何となく嫌な感じが残った。

僕らの10代の思春期。インドシナ半島ではずっとベトナム戦争が続いていた。まだ返還されていなかった沖縄や日本の米軍基地からは、たくさんの米軍機や米軍兵士がベトナムへ行き、容赦ない爆撃をしたりベトナム国土を蹂躙していた。

私たち若者は、"やはり日米安保条約があるから、米軍基地は当たり前のように日本にあるんだ。だから僕らだってアメリカのベトナム侵略に充分、加担しているのと同じなんだ"

と、いつも考え議論した。まさに'70安保の年だったから。

楽しい高校生活ではあってもこの問題が結構、多感な高校生には心の片隅ではストレスになっていた。

体育祭で巨大な反戦マスコットを

3年生の体育祭の時、何かやってみようということになった。
1〜3年、A組からJ組まで各10クラスあった。A組は1〜3年までA軍、C組はC軍という形で10チームが競技の点数を競った。

どこの体育祭も同じだと思うけど、応援席には巨大なマスコットを設置した。どんなものを製作するかは自由。他はだいたい漫画のキャラが多かった。

僕らは I (アイ)軍だったが、僕らごく一部の独断でベトナム反戦をアピールするものにしようと決定。原案を美術部のK君が描き、ベニヤ板何十枚も繋いで大モニュメントにすることに。

放課後は毎日、I組有志が下級生も含めて集まり、手分けしてラッカーを塗り、写真のようなものが完成した(色がくすんでいるのは写真が古いからで、当時は鮮やかでした)

 

絵はドクロのアメフト選手が、ベトナムに落とす爆弾を抱えているが、実は『Made  in  japan』(実際は日本製造の爆弾など無いが…)だと。

意味は『アメリカのベトナム戦争に、日本も間接的に加担してることを知ろう。終わらせる努力を僕らもする責任と義務があるんだ』という、青臭くも純粋なものだった。

体育祭当日の私

応援合戦の時、アピールを読むが原稿は僕が書き、放送部に所属していた女子Oさんが淡々と読んだ。
最初はアジテーション風を要求したんだが、無理があったので。

今は『ザ・青春』のような人気校とか

こんな企画がよく通ったなと思う。先生たちも前日、繋げて立てるまで知らなかった。
担任は校長にイヤミくらいは言われたと思うが、僕らには『おお、さすが!凄いがや!』と、褒めてくれた。
若い教師には安保闘争の活動家上がりがいる、そんな時代でもあったから。

そんなことより、クラスの誰もから異論が出なかったことが嬉しかった。
ある意味、ベトナム戦争が僕らに教えてくれたものは何より大きかった。

高校は名古屋市内の県立高校で、名古屋駅から電車で7〜8分。南には町工場が立ち並ぶリバプールみたいな下町だった。
当時、名古屋市内には公立高校が少なく、200万都市なのにわずか13校しかなかった。
旧制中学からの伝統校だったが、位置付けは恐らく8、9番目くらいだったと思う。

今も勉強では大したことはないようだけど、ネットでの愛知県下の高校の評価・評判は
『部活が盛ん。自由度と学校の楽しさはトップクラスの人気校。まさに"ザ・青春"を体現している学校』

などと紹介されているから、なんか嬉しくなった。
学校の伝統をつくるのは、生徒自身なんだと、思う。

もりもと  なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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