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われら世代の子供に自己に厳しくあれと教えてくれた"国鉄金田投手"

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金田正一さんが亡くなった。ご高齢だがつい2〜3ヶ月前まではサンデープロジェクトの張本勲さんのスポーツコーナーにゲスト出演し、喝!あっぱれ!を言っていたから、突然の悲報にはびっくりした。

弱小チームのマウンド守る姿に、子どもながらに男を見た

われら少年時代は打のONに対し、投のヒーローは国鉄の金田だった。Bクラスが当たり前だった弱小『国鉄スワローズ』でひとりマウンドを守り、飄々と投げる姿が印象的だった。

生涯400勝投手。連続14年も毎年20勝以上。こんな弱いチームじゃなく、巨人か南海か西鉄なら毎年、楽々30勝はするのにと、こどもながらに同情したものだ。

あの六大学のスター、長嶋茂雄がデビュー戦で4打席4三振。カスリもしなかった。当時の金田は恐らく球速も常時160キロは出ていたような気はする。

一流になるには自己に厳しくあれと、子どもにも伝えたカネやんだった

こどもながらに感心していたのは、少年雑誌で紹介されたカネやんの健康管理だ。今では逆のケースもあるが決して泳がない、真夏でもクーラーは絶対使わない、暑くても肩は毛布でくるんで眠る…など。

今は投手は登板したあとは直ぐに氷で冷やすのが当たり前だが、当時は投手の肩は絶対、冷やしてはダメという時代だった。

大投手になるにはここまで自己管理を厳しくしないとダメなのか?

"一流になるには人知れず努力しないとダメなんだ、辛抱しないとダメなんだ"

と、野球をしてない子どもにも教えてくれたのが、カネやんだった。

巨人移籍も、やはり野にいて輝く存在だったと思う

晩年、巨人に移籍できたのは子どもながらに良かったなと思ったのを覚えている。
しかしONバックに投げる姿は颯爽としていたが、いかんせん衰えは隠せない。

それと巨人のユニフォームを着たカネやんをみて、"やはり野におけ蓮華草"、お山の大将の方が似合っていると子どもながらに思ったものだ。
ロッテの監督時代は、監督も客を呼べる存在であることを、強くアピールしたのも印象的だった。

今の時代なら間違いなく大リーガーでも大投手だったと思う。ホームランをよく打ち、代打で出るくらい打撃も良かったから、二刀流の先駆けだったかもしれない。

少年時代の思い出がまたひとつなくなった。ご冥福をお祈りします。

もりもと  なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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