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オリンパスの一眼レフを構えた熱い日とPENやXAの思い出

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オリンパスがカメラ事業を投資ファンドに売却し、撤退するという。オリンパスといえば創業は顕微鏡、今はカメラというより医療機器の世界的メーカー。カメラ事業は社の中でも不採算部門になっていたようだ。個人的には思い出多いOLYMPUS一眼レフを構えた日々ー

子どもから大人までみんなが愛用したオリンパス『PEN』

われら世代はオリンパス『PEN』のブランドは忘れられない。
遠足も修学旅行もクラスの大半が小さなカメラオリンパスペンを持っていた。私はもっとグレードが上のキャノンのカメラだったが、皆んなが持っていたポケットにすっぽり入るPENが羨ましかった。

とにかくカメラが高級品で、誰でも手に入らない時代に、オリンパスの技術者らが知恵を出し合って、1959年にPENを製品化している。

爆発的ブームとなったオリンパス『ぺん』

初任給1万5千円、カメラ2万円の時代に6千円の安さ

初任給が1万5千円の時代、それまで最低2万円もしたカメラを6千円で売り出したから、爆発的な売れ行きだった。
焦点を合わせなくて済む"オートフォーカス"機能。そしていわゆるハーフサイズ。36枚撮りフィルムだと、72枚の写真が撮れた。フィルム自体が高価だったから、ハーフサイズは経済的だったのだ。

オリンパス一眼レフで多くの特ダネ写真を撮った思い出

私は記者時代、長い間、オリンパスの一眼レフカメラを愛用した。社内はニコンとペンタックス派が多かったが、私はオリンパスだったのだ。
自慢ではないが写真が上手いので有名な記者だった。共同通信経由で全国の大半の新聞が掲載した超特ダネ写真を、幾度となく撮ったのもオリンパスだった。

胸のポケットに入るオリンパスXAという超小型カメラも自前で買い揃え、どんな時もシャッターチャンスに備えていた。

肌身離さず持っていたオリンパスXA


いつでも誰でもスマホで写真が撮れる時代。フィルムが残り2枚分しかない。失敗は許されないというギリギリのところでオリンパスの一眼レフを構えた熱い時代が忘れられない。

もりもとなおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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