先日の徳島新聞の連載記事を読み気づかされることがあった。コロナ禍で職を失って苦悩するひとり親家庭の母親の話しだ。パート収入も絶たれその日の食事さえ満足にとれない。これが令和の日本の一部の現実なのだ。

子にねだられた『鬼滅の刃』も買ってやれず
連載企画でコロナ禍での母子家庭の貧困の問題を取り上げていた。クリスマスがきてもお金に余裕がなく、子どもたちにプレゼントができない。
子どもは『鬼滅の刃』の漫画の単行本を欲しがっているが、母親は買ってやれないのだ。

ダイエット中と、自分は食事を我慢するお母さん
コロナ禍でパートの仕事もなくなり、月8〜16万円あった収入がゼロに。家族4人、きょう食べることもままならない。自分の食べる分を子どもにあげ『お母さんはダイエットしてるから』と、ウソをつく切なさ。
『一杯のかけそば』という年の瀬の物語に世の中が涙したことがあった。
まさにあの物語と同じくこの年の瀬、この令和の日本で、一杯のかけそばの半分さえお母さんは我慢する…こんな母子は本当にいるんだということを改めて知った。
日本全体が貧しかった時代と今は違うはずだが…
われらが世代は貧困は珍しいものではなかった。しかしその中でも極貧の家庭もあった。
今でも覚えているのは毎月、給食費を集める日に必ず忘れる同級生はクラスに3〜4人はいた。彼らは必ず翌日も忘れた。そして耐えきれなかったのはその数人を担任教師が激しく叱責する光景だ。
彼らは忘れたのではなかった。決めた日に400円の給食費を持ってくることができなかったのだ。子どもの僕らでも理解できたことを担任が知らないはずはない。
恐らく先生もやるせなさで心が一杯だったのだ。
貧しさゆえ友だちと同じ経験ができない子どもたちがいる
白黒テレビの時代だが、まだテレビも全ての世帯に普及していなかった。
娯楽の少ない時代だ。テレビの人気番組はどの家庭でも観ていた。そして無邪気に学校で前夜の話しをしたが、ついてこれない同級生もいた。テレビが無いからだ。
そんな子たちの気持ちを僕らはだれもおもんばかることができなかった。
先の鬼滅の刃のマンガ本を買えないお母さんの話しで、少年時代のまだ日本が貧しかった頃を思い出した。
皆んな鬼滅の映画も観たいし漫画本も欲しいんだ
おとなも子どもも鬼滅の刃一色。映画も漫画も見てない子どもの気持ちを考えるとこちらまで切なくなる。
全ての子どもたちがお腹を空かないよう、全国で民間による子ども食堂の活動が活発に行われている。
同じように例えば鬼滅の刃を見たい子全てに見せてあげることができないものか。貧しさゆえ全ての子どもが同じ楽しみを味わえない。こんな理不尽な社会はやはりおかしい。
コロナ禍が生み出した貧しさを私たちはコロナのせいだけにしてはならない。政治の役割は山ほどあるのだ。
もりもとなおき