久々に高校時代に習った古文を思い出しました。
11月23日の満月についてネットニュースなどで藤原道長が詠んだ有名な短歌
『この世をば わが世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思へば』
を詠んだ日からちょうど丸1000年目に当たると報じていました。
わが家のベランダから観た道真と同じ望月
平安時代のその日から丸1000年。この悠久の時間、平安京も日本も世界もいろいろなことがありましたが、満月だけは道長が詠んだ日と同様、欠けることなく美しく、初冬の日本の夜を公平に照らしてくれていました。改めて感動しましたね。
調子に乗ると失敗する教訓の歌だと
確かこの歌を習ったのは高校2年生。古文は奈良女子大学を出た若い女教師だった。彼女にこの歌の意味を聞かれた私は、確か
『この栄華はまさに藤原一族と自分のものと、道長が調子に乗ってるところ。だから貴族は没落し武士にとって代わったんだ思う』と答えたような。
これに対し先生は『そんな感じですね。よく先のことまで理解できてます。望月の部分は、この満月のように自分には何も足りないものはない』という意味ですと。
この自身たっぷり、自信過剰の道長のこの歌に、当時はだれも返歌をできなかったという、オチもあったようです。
ゴーンも政治家も調子こくと月は欠けるぞ
ここまで慢心したらいつの時代もダメでしょうね。もう少し謙虚なら藤原の時代ももう少し続き、鎌倉時代の到来はどうなっていたか分からないと思うのが、私の持論です。
この歌、そして後の"驕る平家は久しからず…"今の時代も同じことが言えます。ゴーンも日本で見る月はいつも望月と思っていたんだろうな。
調子こいてる政治家も必ず、望月は突然、欠け出すでしょうね。
もりもと なおき