春のセンバツ高校野球大会が中止になった。一時は無観客で開催することを高野連も検討していたが、やはりだ。他のスポーツ大会が軒並み中止となっている中、『甲子園だけはやるのか?』との雑音も聞こえただけに、高野連が世間に忖度したわけじゃないことを信じたい。

戦時中以外では初の中止
長い高校野球の歴史の中、1942〜1946年は戦争のため中止されたが、今回のように直前に中止が決まったのは甲子園史上初めてだ。
決まっていた高校の選手たちは気の毒でならないが、私たちにとっても甲子園大会はだれが何と言おうと国民的行事だ。地元の高校の活躍に期待するのはもちろんだが、強く、爽やかなチーム、選手にはどれだけ声援を送ってきたか。
高校野球の甲子園はいわば日本の大切な伝統行事なのだ。その大会が吹き飛んでしまったことは、実は国民にも相当なダメージが効いてくるんじゃないかと考える。
徳島が池田で経験した甲子園の目に見えない魔力
徳島でもあの蔦文也監督の池田高校が夏〜春を連覇した。夏は畠山準、翌年春は水野雄仁という超高校級を擁し、甲子園の歴史に名を刻んだ。
彼らの活躍がどれだけ地方の人たちを元気づけたか。池田の全国への発信力も素晴らしいものだった。高校野球を超えた何かを感じたし、甲子園には選手だけじゃなく、地域社会に勇気を与える目に見えないものが、間違いなくある。

甲子園の土はかけがえのないものと、江川さん
どんな替りのことを提案しても出場予定校の選手にとって、甲子園球場で最高のパフォーマンスをすることに匹敵するものはないかも知れない。
しかし元作新学院のエースとして甲子園のマウンドに立った野球評論家の江川卓さんは、『甲子園の土を持ち帰ったし、未だに大切にしてみんなともその話しをする』と、言っている。
コロナ騒ぎが収束したら出場予定だった球児を甲子園に招き、練習試合でもさせてあげたい。もちろん土を持ち帰って欲しいものだ。
もりもと なおき