バブルの頃は何故かカラオケでは男女が2人で歌うデュエット曲がやたら流行った。当然、毎晩のごとく仕事のクールダウンと称して歓楽街へ出動していたが、先輩たちがラウンジの女の子たちとチークダンスができるような歌ばかり歌った(歌わされた)が、デュエット曲が多かった。

先輩たちと飲みに行く時はオハコの吉田拓郎や伊勢正三、財津和夫などはカラオケでは完全封印していたのだ。
私としては歌いたいのだが、例えば拓郎の『どうしてこんなに悲しいんだろう』や正やんの『なごり雪』『ささやかなこの人生』でも歌ったらどうだろう。
『そんな歌ではチークダンスが踊れんやないか!』と、ターさん(仲人もしてもらった大先輩)に怒られるのは必至だったのだ。
そんな訳で夜の女性の心の逡巡を歌ったムード歌謡や『今夜は離さない』『別れても好きな人』など、デュエット曲を店の女の子と歌ったものだ。
私ももちろんチークダンスもしたが、参ったのは彼女たちのコロンの香りがこちらの服にも移ることだ。
きょうはココシャネル、明日はディオールと、艶かしい匂いを染み込ませ、毎夜の午前様でのご帰還は、さすがに妻に対して気がひけた。
起こさないようにこっそり着替えたが、妻も翌朝、私の服の匂いには当然、気付く。
『毎晩、いい匂いさせて気安いこっちゃな』とのイヤミはたまにはあった。
しかし匂いはまだいい。チークダンスを踊った際、こちらの上着の肩の辺りに女の子のファンデーションや口紅が付着することもある。
これはなかなかとれない。しかしあくまで不可抗力。何らやましいことはないのに妙に言い訳をしたものだ。
30代半ば。歌は世につれ世は歌につれ。日本も徳島も私もめちゃくちゃ元気だった。
もりもとなおき