日本全国、真新しいスーツや制服に身を包んんだ新入社員の溌剌とした姿が目につく季節ー

全てのフレッシュマンの人生が、輝かしいものになることを願わずにいられない。
彼ら、彼女らの前に、いかなる上司、先輩が待ち構えているか。サラリーマンの将来は、その人間関係が大きく左右する。
社会問題化するパワハラ
最近、会社などでセクシャルハラスメントと同じく問題になっているのが、パワーハラスメント。
女子レスリング界でさえ、大きく世間を騒がせている。
精神的に追い込まれ出勤できなくなったり、時には自殺に追い込まれるケースもあとを絶たず、深刻な社会問題になっている。
私の場合ー2人の先輩との出会い
自分の場合は、新聞記者として社会人のスタートを切った。なかなか味のある、上司、先輩たちに恵まれた。いくつかエピソードをあげますが、パワハラか否かご判断を(爆)
インテリ感ハンパなく、真面目一筋の1年生記者時代。先輩たちのお陰であっという間に絵に描いたような下品なブン屋になりました(涙)
ある先輩Aさんの場合
■先輩の彼女のお店がはねるのが午前零時。先輩は毎夜、私のいる記者クラブに来て、その時刻までマージャンで時間潰しを。私は帰ることもままならず。零時過ぎから彼女との合流に付き合わされ、連日連夜、午前3時までドンチャン騒ぎ(涙)
■仕事中、突然、ポケベルが。レース毎の注文を受けた私は鳴門競艇、小松島競輪場外車券売場へ走らされた(涙)
■クラブ勤めの彼女のノルマを果たすため、自分が仕事で行けなくなった時は私に同伴出勤を強要。それも突然(涙)
■ラブホに時計を忘れたから、私にとって来てくれと。コートやマフラーの時もありました(涙)
■公休が隔週2日になったあとも『お前がおらんと新聞ができんわ!出て来てくれ』と。ほとんど休日取れず(涙)
■インフルエンザで熱が39°8分あっても、事件の張り込み強要。『お前が熱をだしてる間は、警察は事件着手を待ってくれるのか?』って(涙)
■自分がお気に入りのママの店で迷惑をかける客がいると、私に喧嘩を強要(涙)
別の先輩Bさんの場合
■われわれは記者クラブ出勤だったが、週2日くらいしか姿を見せず。よって私の仕事量はハンパなく、休めず(涙)
■ソープランド奢るからと、宿直を毎回、一方的に交代させられた(涙)
◼暴力団の溜まり場の店に、嫌がる私をいつも同行させる(涙)
まあこんなごくごく平凡な日常でした。
でも今なら、相手が僕じゃなかったら間違いなく、2人の先輩はアウト!早期退職に追い込まれたのは確実でしょうね(笑)
パワハラ?も今は感謝しかない
しかし、当時はパワハラなんて言葉もなかった。そして当事者である私が ”記者修行” と思って、何も疑問に感じてなかったフシがある(笑)
•今思えば毎夜、先輩に同行したことで、若い私の人脈は飛躍的に広がり、後々の選挙で大いに役立った。
•競艇、競輪場へ出入りすることでいろんな人間模様を観察したことは、社会部記者としてのスキルアップ?に繋がった。
•代理の同伴出勤は、自分の給料ではいけない高級クラブを経験できた。
•休まずに仕事したことは、会社並びに新聞紙面での私の存在感を確立した(これ大切!)
•インフルエンザでの出勤強要は、仕事の厳しさを教えられた。
•暴力団系の店に行くこと、質の悪い客と喧嘩することで、否応なく社会部記者として必要な胆力がついた。
•仕事のパートナーである先輩の姿が見えないと、普通は1年生ではやらせてもらえない(出来ない)であろう重大な仕事も、私がやらざるを得なかった。結果、飛躍的に筆力や取材力がアップした。
ま、とにかく、こんな生活が5~6年、変わらず続きました(涙)
でも"記者道"を教えてくれたのがこの2人だった。
彼らの名誉のために言うと、2人は間違いなく優秀な特ダネ記者。私への思いやりもハンパじゃなかった。むちゃくちゃに酷使はされたけど、いつも社内で社長や局長に私のことを褒めまくっていた(褒められて伸びるタイプ?)
私自身がパワハラをされた自覚がないし、誰にも負けない一人前の新聞記者になれたのは2人のお陰と、今だに感謝している。
2人に出会ってなかったら、後に政治の世界にも絶対、入れなかった。
2人とももういない(涙)
”パワハラ”にも恐らく愛情のある、無しがあると思います。新人諸君はそこを十分に見極めて、サラリーマン生活を充実したものにして欲しいと願わずにいられない。