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パンケーキが淡路島を夢の観光アイランドに変えてしまった

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大半の徳島県人にとってふた昔前は、淡路島は北端の岩屋から明石までのフェリーに乗るために、鳴門から大鳴門橋を渡って走り抜けるだけの島だった。

そして明石海峡大橋開通に伴い、全線高速道路に整備されたらいよいよ走り抜けるだけになり、ますます寂れるんじゃ…と思ったが、今はどうだ。

楽しいスポットが島全体に点在し、阪神からはもちろん、徳島の家族連れも絶え間なく訪れる一大観光アイランドに生まれ変わっているから驚く。

思えば'95、女優ジュディオングさんのダンナさん(当時)と、私の親友の建築家楠元孝夫君が、洲本にある鐘紡の煉瓦倉庫をイノベーション。
『アルファビア・ミュージアム』という美術館に生まれ変わらせたのが、淡路島のひとつの転機だったかもしれない。

完成後、当時の洲本市長も全面協力し、近くの海を埋め立て、市営駐車場整備もしてくれた。
これも民間主導の官民共創の走りだったような気がする。

その後、国の淡路花博があり、安藤忠雄設計による『夢舞台』を中心に、淡路観光も脚光を浴びた時期もあるが、直ぐに萎んでしまった。
ところがここ数年、阪神や四国からの淡路観光が熱い注目を浴びているのだ。

人材派遣会社だった(株)パソナが、社長の出身地である淡路島の夢舞台に東京から本社を移転。大勢の都会のビジネスマンが家族ごと移住することで島の雰囲気は大きく変わってきたと言われる。

そしてパソナ社員の若い発想からインスタ映えのするスポットを作る。そこで食べるパンケーキに夢のある名前を付ける…
パンケーキを戦略的に使い、各地に名所をつくり始めた。
今や予約しなければ『天使のパンケーキ』や『幸せのパンケーキ』は、なかなか食べることができないほどの人気だ。

たったこれだけのことで良い方向に回転する。既存の公園や一時は寂れた場所まで足を運ぶケースも増え、あっという間に淡路島は夢ある"観光アイランド"に生まれ変わったのだ。

やはり民間の若い発想は、観光地さえも簡単にこしらえてしまう。淡路の出来事は生きた教科書であることは否定できない。

美しい海だけでは人は来ない。でも付加価値をつけたらドッと人は訪れる。
このことが理解できない行政、偏狭な地元愛だけの人たちでは、徳島に人を呼ぶことは不可能だ。

官だけではこうした発想が浮かばない。
徳島を楽しい島にしたいと心から思う。

(インスタ映えスポット。幸せのパンケーキ。夢舞台。イングランドの丘。かつてのアルファビアミュージアム)

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

morimoto_ naoki72

森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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