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ベルリンの壁崩壊から30年。わが家にあったその壁のかけら

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皆んなが重機やハンマー持ち出し、民族分断の壁を壊した

東西冷戦の象徴だった『ベルリンの壁』が崩壊した日のことは良く覚えている。
家族を恋人を、友だちの人生を無情に切り裂いた厚い壁がいとも簡単に破壊されたのだ。

壁の上に登った幾千人もの東西ドイツの人々が声を揃えて歌ったビートルズの『平和をわれらに』が、冷戦の終結を告げた。

そして重機で、あるいは多くの人々がハンマーを持ち出し壁を破壊し始めた。

国境警備の東ドイツの軍人らも黙って見守っていたから、まさに共産主義を倒す革命が行われていたんだろう。

わが家の書棚にもひっそりとあった分断の壁のかけら

わが家の書棚の片隅に、この時の壁のかけらが今も置かれている。小さなかけらだが、落書きの塗料の色もついている。

 

第二次世界大戦の終結から44年。その時から東西ドイツは全く別の国家であったし、それが当たり前だった。

そして1961年、東ドイツにより頑強な壁が造られ、交流もままならなくなった。

この壁が破壊されることで、主義主張の異なる国家であったのに、自由主義と社会主義が一気に共存してしまったのだ。

いや、共存というよりこれをきっかけに、東ヨーロッパの社会主義国家が、まるでドミノ倒しのように、バタバタと倒れていった。
これがベルリン壁崩壊であったと思う。

東欧の民主化求める力が起こしたベルリンの壁崩壊だった

ベルリンの壁はなぜ1989年11月9日に崩壊したのか。
それまで東ドイツ市民の大量出国にアタマを悩ませた東ドイツ政府が、その対応策として旅行及び国外移住の大幅な規制緩和を行った。

しかし事実上の旅行自由化と受け取れる表現で発表してしまったことで、その日の夜にベルリンの壁にベルリン市民が殺到。国境検問所が開放され、早くも翌日、多くの人々が参加し壁の撤去作業が始まった。

東西ベルリンを遮断した東西分断の歴史は呆気なく終結したのをテレビで見ることができたのは凄いことだと思う。

この誤解を与える発表は私は東の心ある人々の確信犯だったのではないかと、思っている。

翌年1990年10月3日に、ドイツ民主共和国に州が再設置され、ドイツ連邦共和国に加盟するという実質的な編入で東西ドイツの統一がなされた。
今のメルケル首相は東ドイツの出身だ。

もりもと  なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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