新人記者のサツ回りは気持ちは学生時代の延長で、仕事はキツいけどそれ以上に楽しかった。
溜まり場の記者クラブは警察本部の中にあり、ここに地元紙、四国放送、朝日、毎日、読売、NHKなど9つの報道機関の記者が登録されていた。
全国紙や通信社、NHKには私のような新人が配属されるから毎日、取材競争もしたが、仕事が終わってからはよく一緒に遊んだ。
やはり同じ職業を目指した仲間だ。学生時代に読んだ本や聴いた音楽、価値観も似たヤツが多かった。
でもたまに"東大卒"も来たが『僕は君らとは違う』オーラ満載で、あまり仲良くはできなかった。
もちろん東大だから記者に向いてるかというと…?だが、朝日やNHKでは何故か出世はしたから不思議だ。
当時は女性記者は1人もいない男の世界だった。そして朝から夜遅くまで泥臭い仕事だ。女友だちができる機会は皆無だった。
だからという訳じゃない。決してだからというわけじゃないんだ。癒しを求めてソープランドに繰り出すこともよくあったかもしれない。知らんけど(汗
僕は同い年の全国紙のM君やS君、某国営放送のU君、通信社のF君と仲が良く、彼らに無理矢理誘われて、いやいやながら渋々行くこともあった(汗)
その中でもソープで必ず思い出すのはM君だ。福岡県出身。名門修猷館高校、小室さんと同じ国際基督教大学出身だった。
M君が気の毒だったのはいつもポケットベルで支局に生活を完全に管理されていたことだ。

ソープではM君と部屋が隣り同士になることもあったが途中、必ずけたたましく彼のポケベルが鳴った。
(客室は風営法で定められているのか、天井の下50センチくらいは開いており、隣りの声、音は良く聞こえた)
しかし部屋には内線電話しかない。
『直ぐ電話しないとデスクに怒られちゃうんだ』という情けないM君の声がした。
すると女の子が『それは大変ね!じゃあバスタオル巻いて一緒に受付まで電話を借りにいく?』と。


腰タオルでエレベーターに乗り、廊下で他の客とすれ違いながら、玄関受付で電話を借りたようだ(ちなみに初期のポケベルは鳴るだけだった)
僕も心配にはなった。何かデカい事件がありM君に連絡があったんじゃないかーと。
そんな僕の心配が分かってるのか、M君は客室に戻ると壁越しに大きな声で『事件じゃないから!記事の問い合わせだけだったから!』と、必ず報告してくれた。
そんなM君もその後、大学の同級生と結婚し、政治記者や地方支局長を務め、最後は関連放送局の役員を務めた。
しかし、女の子と一緒にバスタオルだけを巻いて受付で電話する間抜けな姿を想像すると、今だに笑いが込み上げる。
40数年前、僕らの青春の一コマでした。
(写真はイメージ図)
もりもとなおき