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マー坊のように、夏を制することができなかった浪人時代

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夏を制するものは受験を制す!と、予備校の壁に貼ってあった。要するに夏休みにしっかり勉強すると、翌春に吉報が届くということだ。

浪人中は河合塾に通った。河合塾にも夏休みはあるが、そこは業者は抜け目はない。別受講料を徴収する夏季講習というものがあった。


本当は受けたくはないが、ずっと家にいるのも孤独だ。
わが校は男子の半数以上が浪人したが、その大半が河合塾(名古屋駅校)だ。ここへ行けば友だちに会える(遊べる)から、親には申し訳ないが確か英語、数学、古文を受講した。

親友の鈴木のマー坊は高校は違ったから一緒に河合塾へ行きたかったが、何故か名英とかいう小さな予備校へ通っていた。
それでもたまには会うこともあり、受験の話しをした。

今でも覚えているのは、彼は夏の段階で英語の受験単語を8000語はものにしていたことだ。

古文や漢文もかなりやり込んでいたし、英単語集はもちろん、日本史の参考書や資料集なども既にかなり傷んでいた。

ところが志望校の話しをしたら偏差値の割にずいぶんと控えめだった。
僕が『今、この成績なら早稲田セイケイや慶応は完全に射程圏内だがや』と言っても、
マー坊は『まだまだあかんがや!こんなレベルでは受かるわけないて!』というから、こちらが焦るしかなかった。
僕より英語、国語、社会なら平均偏差値で10点は軽く上だったのに。

当時の河合塾模試は全国区ではなく、まだ名古屋圏というか東海3県の模試で、偏差値の概念も始まったばかりだった。しかし進学校の生徒しか受けないから偏差値はキツめ。

東大や京大、名大、九大など旧帝といわれるところや一橋でもボーダーは60〜62.5(5教科)くらい。
早稲田の政経、法や慶応経済、中央法で57.5〜60(3教科)。最近人気の明治や青学などまだ50未満だったから、かなり模試がハイレベルだった。

結局、僕はマー坊のように夏を制することは出来なかった(ちなみにマー坊は翌春、早稲田法や慶応文、滑り止め青学と、全て制覇)

深夜、勉強部屋の窓から入る涼しい風が、夏の終わりを告げた時、ラジオからは拓郎の『どうしてこんなに悲しいんだろう』が流れていた。

もりもとなおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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