お盆にこんな俳句をしたためた。
盂蘭盆や 父母の戒名 確認し
それぞれに深い意味がある故人の戒名
両親の戒名をスラスラ言うことができ、またきちんと書ける人はどのくらいいるんだろうか。
私はなんとなく怪しい。
仏壇の前に座り手を合わせる時、両親の位牌の戒名まではしげしげと眺めることはない。
だから2人の戒名を『宙で言ってみろ、書いてみろ』ともし言われたら、自信はない。
もちろん父母の告別式に合わせ、お寺の住職に戒名をいただいた時は、父も、あるいは母にも『とても相応しい仏名です』と、それぞれ妙に納得したものだった。
当然、住職は2人の人生のごく一部ではあるが知った上で、さらに私から取材した上で戒名をつくってくれている。
だから当然、納得した訳だ。
俗名ではなくなぜ戒名をもらって旅立つのか
実は今年の盆前後、義父ら2人の高齢の身内を見送った。
その時、2人の戒名に妙に納得したのだが、特に義父の戒名にはびっくり。
30年も前に亡くなった義母は『令』で始まっていたんだが、義父の戒名には『和』で始まり、夫婦で『令和』となった。
同じ住職がつけたものだが、なかなか洒落ていた。
さて実はことしのお盆に仏壇の掃除をした時に、ふと私の父母の位牌を手に取り、戒名についていろいろ考えた。
私は俗名が分り易くていいんじゃないかと常々思っているが、住職はこれを否定する。
つまり亡くなってお大師さん(うちは真言なので)の下に行けば、みんな仏さんだ。当然、向こうでの名前がいるんですと。

なるほど。せっかくいただいた両親の戒名だ。いつでも心の中で戒名で呼びかけ、さらに書けるようにしておきたいと思う。
もりもと なおき