ひとつの事件が多くの人を不幸にする
長い間、事件記者をしていたから、様々な事件を引き起こし、警察や検察に逮捕、検挙された多くの犯人たちのことを無数に記事にした。
怨恨による殺人、強盗殺人、強姦、放火、窃盗、贈収賄、覚せい剤、売春防止法、交通死亡事故、無理心中…。
加害者の数だけ被害者がいた。そして共に家族もいる。ひとつの事件で多くの人たちが不幸になり苦しんだ。
"罪を憎んで人を憎まず"とはいうが、裁判で明らかにされる被告の壮絶な生い立ち。その生い立ちによって形成されたといえる人格に、同情すべき被告もたくさんいたが、まず更正できないだろうと心底、思う悪党も多かった。
死刑執行のニュースで蘇る取材現場
私が取材した中にも、後に死刑判決を受けた殺人犯も2人いた。ひとりは徳島で殺人を犯し、他県でまた強盗強姦殺人の罪を重ねていた。
何年か後に2人の死刑執行をそれぞれ知らせる記事も見た。事件当時、取材に苦労したことも思い出したし、彼らが手錠をかけられて連行される姿、法廷での心細そうな姿も目に浮かんだ。
もちろん例外もあるが、昔は凶悪な事件ほど、幼い頃からの境遇が恵まれていないケースが圧倒的多数だった。
だから犯人に同情する訳ではないが、やはり物心とも豊かな社会にならなければ犯罪はなくならないことも痛感した。
一家心中もたくさん見た。クルマの中で家族5人が折り重なって亡くなっていた心中事件は、今も思い出すだけで心が痛む。
恵まれた者の凶悪事件、介護疲れの殺人。昔はなかった
事件取材の現場を離れて久しいが、たしかにデータ的には凶悪事件は激減している。
しかしあり得ないと思うのが、何不自由なく育てられ東大や慶応などに進学しているエリートが、へっちゃらで女性を強姦するような事件は、以前は無かった。
あと介護疲れでの殺人、無理心中。これも私が事件記者時代はなかったし、中学生以下の子どもの自殺もほとんど無かった。
事件は社会を反映する。そういう意味ではちっとも世の中は良くなっていない。
もりもと なおき