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京マチ子さんの訃報で思い出した半世紀前の渡部君の思い出

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中2の子どもが"京マチ子がたまらん!"と

半世紀も前。当時僕らは中学2年生だからまだ13才か14才だった。同級生の渡部君はそんな子どもなのに、30才以上も歳上の京マチ子のファンだった。

まさに母親年代の女優さんに『辛抱たまらん!』とか言っていたから、京マチ子の妖艶さが分かっていたんだろう。渡部君、かなりませていたのかもしれない。

昨日、95才で亡くなった女優京マチ子さんの訃報を聞き、何故か渡部君を思い出した。
確かクラスで好きなタレントの話をしていた時、渡部君が『僕は京マチ子だ。なんか色っぽくてたまらんがや』と言ったのを忘れれられない。

 

当時、なぜ京マチ子を知っていたのか?

今でこそ『羅生門』や『雨月物語』で国際的な映画賞を取り、国際的大スターだったのは映画史として知っているが、当時の京マチ子、テレビに出ていた記憶もない。
だからだれも知らなかったから、渡部君が何故、京マチ子という女優を知っていたのか不思議だった。

もちろん、京マチ子が必殺シリーズの元締め役などでブレイクしたのはそれから何年も後だった。われわれ年代以降はやはり必殺シリーズだ。

 

やはりおませだった渡部君

さて渡部君だが、クラス1のお洒落だった。名古屋の山の手の中学だから、男女、お洒落な生徒はたくさんいたが、いつも身だしなみに気をつけていた。

髪は僕らはMG5だが、かれは丹頂チック。内ポケットにいつもクシを携帯していた。学生服のズボンも、裾が細かった。
創刊したばかりで、中学生にはヌードグラビアが刺激的な週刊プレイボーイを毎週、学校に持参し、先生に取り上げられていた(『渡部君がやらしい本を持ってます』という女子の通報 )

渡部君はやはりかなりませていたんだと思う。

このお洒落な渡部君が痛恨だったのは、当時、県立高校でただ一校だけポーズ頭が義務付けられた千種高校(舘ひろしの母校)へ進学したことだった。

還暦同窓会で京マチ子の件を聞くつもりだったが、渡部君はいなかった。

京マチ子さんのご冥福をお祈りいたします。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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