歩いて見て感じたことを書き社会にフィードバックする
ルポルタージュを書くというのが記者を目指した時の一番の目標だった。役所の発表ものは全く興味はなく、事件記者時代も警察のお決まりの統計ものは別の記者に任せていた。
歩いて見て感じたことをさらに調査して表現し、社会にフィードバックする。それがルポルタージュであり、ジャーナリストの仕事の真髄だと思う。
事件が起こっても第一報は当然、警察広報から発表される事実関係が中心となる。新聞記者の本来の仕事はそれからで、事件が複雑怪奇なほどその後の取材は面白かった。
度々モンスターを生み出すのは社会の責任のケースが多い
例えば凶悪な犯人のことをおいたちから徹底して調べる。その人物がなぜそんな事件を起こすような人間になってしまったのか。家庭環境、学校時代の生活、成績、そして社会人となってからの人間関係…
結局、調べれば調べるほどその人物を通じて社会の闇が見えてくる。人格形成の中で犯行に及ぶ原因がなんとなく、あるいは明確に見えてきたものだ。
しかし困ったことにどんな凶悪な犯人であっても、調べれば調べるほど、より憎しみが増すことは極めて稀だった。そんなモンスターを生み出した社会への腹立たしさが先に立ち、逆に同情をしてしまうケースが多々あったからだ。
例外は性犯罪者。とりわけ児童性愛者の犯罪だ。病気だとは思っても調べれば調べるほど、許し難いものだった。
左様に複雑な事件の犯人について徹底的に調べる、ルポをすることも、社会をえぐる大事な作業なのだ。
本多勝一氏『戦場の村』で感じたルポルタージュの大いなる力
私がルポルタージュを書きたいと思ったのは、高校時代、朝日新聞に連載された本多勝一の『戦場の村』を読んだからだ。
学生時代に改めて単行本で読み、人の心を動かすのは、アジテーションより事実を記すことだと分かった。

西側諸国のジャーナリストとしては初めて南ベトナム解放民族戦線の村に入り、本多氏いうところの"殺される側"の目から見たベトナム戦争をシュールに取材がなされた。
極めて淡々と南ベトナム政府軍と背後にいるアメリカ軍と戦う解放戦線の日常を描いてあった。
そして取材対象への感情移入は取り立ててなくとも、ベトナム戦争の理不尽さや、アジアの小国を蹂躙し支配下に置こうとするアメリカの姿が浮かんできたのだ。
これが真実を伝えるルポルタージュの凄さ、醍醐味だと感じた。
インドを歩き凄まじいカースト差別の実態をルポした
自分を振り返ると、日々の取材やルーティンに追われ、なかなかルポは書けなかった。
もちろん事件後、数日の取材でできるようなもの、あるいは地方都市にまで侵食する社会風俗ものは良く書いたが、やっつけ仕事の陳腐なものが多かったような気がする。
自身で強い思い入れがあるのがインドを半月旅し、カースト制度の外に置かれ、インド社会で凄まじい差別を受けているアウトカーストの人たちが住む町や村を訪ね、ルポしたことだ。

忌まわしいカースト制度からも除外され、人間扱いさえされていない不可触民と呼ばれる人たちの生活と闘いの実態を取材したが、肉体的、精神的に相当、疲労感があったのを覚えている。
徳島新聞で連載したほか、ある雑誌から依頼を受け寄稿したが、記憶に残る仕事だった。新聞の連載は後に中学校の社会科の教材にも使ってもらったのは光栄だったし、ルポルタージュの力を実感したものだ。
最近は大手の新聞も人的余裕がないのか、渾身のルポなどとんと読んだことがない。
もりもとなおき