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仕事の上下関係で一番大切なことは…スバルのパワハラ自殺に思う

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新人記者を育てるのも大切な仕事だった

事件記者時代、それなりに年季を積んでいくと毎年、新入社員ひとりを一人前の事件記者にするための指導、教育を任された。

取材の仕方、ネタの取り方、記事の書き方、裁判取材…自分の仕事もあり、かなり手間がかかるから正直めんどくさかったが、自分も先輩に鍛えてもらったので、みっちり指導・教育した。

事件取材の中心だった旧徳島東署

警察官や検察官、さらに彼らと全く相反する犯罪者が相手の職場だ。1分1秒を争うこともある。そして残業など気にしていてはやってられない。
新人には相当やかましく、厳しく、時には過酷な業務を強いたこともあった。

今、思い出すと完全なパワハラもあったかもしれない。泉明石市長みたいに怒鳴りまくったことだって数え切れない。
特に"こいつはいいな"と思う後輩はいい記者になって欲しいから相当、鍛えた。
反面、たまに向いてない新人もいる。こういうヤツはほとんど怒らないようにし、過酷な命令はしなかった。

怒った後は楽しい時間の共有が不可欠

一番、大切にしたのは怒るのはその時だけにすること。その日の仕事が終わると同時に怒るのも終了した。

物分かりの良い"もーさん"に戻り、徹底的に絞った日は必ず、飲みに誘った。これは私も先輩からしてもらったことだ。

たまに涙ぐんでるヤツをそのまま帰してしまったら、少し心配になったりしたこともしょっちゅうあった。

こんな時は必ず帰ってから電話をし、落ち込んでいないか確認。元気だとホッとして『また明日頼むぞ!』と、電話を切った。
後輩たちも翌日に持ち越すヤツはひとりもいなかった。

思い出に残るヤツもいる。物凄く根性があるのに、たまにビビって取材で腰が引けることを怒ると、直ぐ泣くヤツがいた。でも泣いてからが何故か強い。相当難しい取材も必ずやりつけてきた。

できるんだから泣く前にやったらいいのにと思ったが、涙でエンジンがかかるんだろうと、思う。

彼は私が選挙に出るため退社することを知った時、私が留守中の自宅に来て、『辞めんといて欲しい』と、家内の前で泣きじゃくった。
もうひとり同じヤツがいたから、厳しく仕込んでも気持ちが伝わっていたことが嬉しかった。

楽しく仕事することが大切

立派な先輩ではなかったが、良い仕事人になってもらうため無理も言ったが、その後みんな順調に歩んでいる。

私は先輩のおかげで、新人記者の2年間が人生で一番楽しかったから、後輩にもそんな新人時代を味わってもらいたかったが、どうだろう…

最近、スバルのような超マンモス企業で上司の壮絶なパワハラや、月間100時間を軽く超える残業を強いて、48才の社員が自殺に追い込まれた事件が明るみになった。
残業は書類上、ゼロと細工する悪質さだった。

こんな悲惨な話を聞く度に上司なぜもっと楽しく仕事をさせてあげることができないのかと、思う。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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