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余命宣告の中、癌と闘った年ーわが人生の時

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『酷い癌に翻弄されても意義ある年だったと思う2021年〜わが人生の時』

ことしは私の人生にとってとても意義ある年だった。酷い癌で闘病してるのにアタマおかしいんじゃないのか?と思われるかもしれませんが…
いやいや、人生、土壇場まで追い詰められたからこそ得ることがたくさんありました。

癌告知を受けた5月。ドクターの厳しい説明から、私は12月8日の36回目の結婚記念日は恐らく迎えることはないだろうと覚悟しました。そして人生、最後の6ヶ月をいったい何をしたら良いのかと。


直ぐに考えたのは私は元記者だ。力尽きる日まで自分の人生を書き記してみよう。そんな思いで私の『人生アーカイブ』ともいえるFBでの投稿をスタートさせた。

少年時代から学生時代〜記者時代〜県議会議員時代。自分に関わってくれた人たちとの濃くて愉快で微笑ましい友情や人間関係……そして何より愛する家族との物語。

親友や仲間たち。お世話になった人たちとのエピソードを思い出す度、本当にたくさんの人に支えられ、彩られた人生だったか。改めて皆んなに感謝をしている。
妻と娘、息子との家族の絆も改めて強く感じたし、もっと強く固いものになった。

また徳島大学病院での検査、治療のこと。消化器・移植外科で巡り合った島田光生教授と島田軍団のドクターや看護師さんたちとの感謝すべき日々の触れ合いや、抗がん剤治療のこと。
元ジャーナリストとして癌と向き合う私の心の内面まで語ってきたつもりだ。

もちろんしんどいけど濃い半年間だった。当初、抗がん剤の強い副作用や癌潰瘍からの大量出血で、ほとんど向こうの世界に行きかかったようだ。

しかしこれも妻の機転とドクターたちのおかげで何とか留まることができた。
親友の1人からはこの時、『森本!俺たちの手をまだ離すんじゃねーぞ』と、何度もメールが入っていた。皆んなが手を握ってくれていたおかげだと思う。

この頃、体調はすぐれなかったが、実は6〜7月は入院の合間、お別れのつもりでたくさんの人たちと会い話しをした。
しかし2ヶ月が経ち秋の衆院選では応援した候補者の、街頭での応援演説もできたほど元気になった。

もう2度と行けないと思った東京に行き、娘の案内でけやき坂のイルミネーションも見ることができた感動!
そして今月、わが家の大イベント、息子の結婚式にも元気に出席することができたのだ。これも最高の感動だった。

島田教授がこの少し前、『森本さんの運命のベクトルの方向が変わってきましたよ』と、勇気の湧く言葉をかけてくれた。

そしてあの辛い癌告知から早、6ヶ月を超えたが、私は元気だ。
皆んなに"メンタルが強い"と言われるけど、そんなことはない。たった一度だが人生のはかなさに1人で泣いた弱い人間なんだ。

どうも抗がん剤治療の効果が今のところ凄く上がっているようだ。四国放送のフォーカス徳島にも出演し、自身の癌について語れたのは、元気だからこそだった。
これもひとえに私と相性の良い抗がん剤を徹底的に調べ、投与してくれている担当ドクターたちのおかげだ。


まだまだ年明けからも癌との闘いは続くし、私は自分の病状に全く楽観はしていない。
でも夫として父としてまだ家族を見守る義務と責任がある。
そして輝かしくも新しい年、皆さんとともに大きく歩みたいものだ。

もうしばらく、僕の手をみんなで握っていて欲しい。

(年の瀬に寄せて 森本尚樹)

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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