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"俺も生きたや仁吉のように"(人生劇場)と、改めて思う今日この頃…

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義理と人情を秤にかけたらどちらが重い?

"早稲田の第2校歌"でもあり、村田英雄歌う『人生劇場』に、"俺も生きたや仁吉のように 義理と人情の この世界"との一節がある。

小説『人生劇場』を書いた尾崎士郎もこの歌の俠客、仁吉こと吉良の仁吉はともに愛知県の吉良町の出身。
この歌詞をよむだけで尾崎士郎が子どもの頃から、郷土の誇りとして仁吉に憧れて育ったことが良く分かる。

 

さて私も吉良の仁吉に憧れた。赤穂浪士じゃないが、清水の次郎長も『次郎長三国志』として、昔はテレビや映画の定番だ。

渡世の義理のため、恋女房と別れ義兄と戦う

何度観たか分からないがその都度、感動し、特に吉良の仁吉が大立ち回りで殺害される『荒神山の喧嘩』を見るたびに、仁吉の男らしさに感動したものだ。

筋書きを言うと、次郎長一家が世話をした伊勢の吉五郎の縄張りであった伊勢荒神山を、俠客の穴太(あのう)の徳次郎が奪ったため、次郎長に世話になった仁吉は「荒神山の喧嘩(血闘)」に単身乗り込んだ。

 

ここで仁吉の凄いところは、実は仁吉の女房は徳次郎の妹だ。つまり徳次郎とは義理の兄弟だった。
しかし世話になった次郎長のため、恋女房と離縁し、義兄徳次郎との喧嘩に出発したという。

しかし残念なことに仁吉は鉄砲で撃たれた上、斬られて28才の若さで死亡した。

仁吉は女房や義理の兄との関わりより、次郎長との義理を取ったと言われ、この名場面は浪曲で語り継がれた。

普通の感覚は身内が大切だが、男仁吉は次郎長への義理を優先、泣く泣く身内を切ったというものだ。

高倉健さんが『死んでもらいます』と、何の恨みもないヤクザ相手に、"渡世の義理のため"切りつけるのが、仁吉と同じ心意気か。

 

義理もへったくれもない?政治の世界

政治の世界はどうだろう。義理と人情を秤にかけなければならない時もある。私自身、義理を欠いたこともあったし、義理を欠かかれたこともあった。
国会議員の2世、3世という親族の多さを見ると、仁吉の世界はもう通用しないのかもしれない。
当選するためにはかつては敵の政党へ渡り歩くことも辞さない。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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