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働き過ぎだと何故、ソープランドだったのか?先輩の思いやり?

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『働き過ぎの私に何故かいつも"ソープへ行って来い"と言った先輩の思いやり』

私が社会部記者の時は月に2〜3回は宿直があった。しかし先輩に『代わりにやってくれへんか?』と頼まれると断る訳にもいかない。いつも引き受けたから月5回くらいは宿をしていた。

もちろん宿直室で仮眠はとれるが、夜中〜未明に何が起こるか分からない。私はほとんど寝なかった。

翌日は他のポスト(県政や市政)の連中は午後には帰れるが、私などサツ回りの新人は宿明けでも翌日深夜まで仕事だ。やはりかなり消耗した。
でも宿直を1回するとかなりの手当がついた。

そしてターさん、平野さんという事件担当の両大御所にはしょっちゅう宿直の代理を頼まれた。
気前の良い2人は気を遣い毎回、"お礼"をくれたが、平野さんは必ず『ソープ1回分な!』と。"自分へのご褒美"として必ずソープに行くように言われたものだ。

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あと参ったのは大晦日12月31日と、翌日の1月1日、何と2日続けて宿直を入れられていた。
大晦日は記者クラブで紅白をひとり寂しく観て会社に上がった。

そしてこの日も何故か平野さんには『新聞ができたらソープへ行って1年の垢を落としてこい』と言われたのを覚えている。

実は平野さんがソープにこだわるのは理由があった。
私は自分で言うのもなんだが、一日中、仕事をしていたし、ほとんど休みも取らなかった。まさにライティングマシーンだった。
でももちろん会社に酷使されているなど1ミリも思ったことはない。新聞記者という仕事が好き過ぎたのだ。

それでももちろん生身のカラダ。消耗もするしメンタルが弱ることもあった。平野さんはそんな私のストレスを解消させたかったようだ。

それが何故、ソープランドなのか(笑)は平野先輩に聞かなければ分からないが、天国の平野さんには伝えたい。
『平野先輩の下で仕事をした2年間は、ストレスどころか人生で一番、楽しかったんです』と。
(徳島新聞旧社屋と今の社屋。私にとっては旧社屋が何百倍も思い出深い)

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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