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元官房長官仙谷由人さんが死去。とにかく凄い人だった

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仙谷さんが死去。72才の若さで

民主党政権時代、政調会長、官房長官を務めた元衆院議員の仙谷由人さんが肺がんのため亡くなった。徳島1区選出。2012年、民主党が下野した衆院選挙で落選するまで徳島1区は長く"仙谷時代"が続き、国はもちろんだが、徳島県では大きな存在感を示した。
1990年、社会党から初当選。落選の後、民主党結成に参加した。亡くなったのは11日。

 

 

元は凄い弁護士だった

私は記者時代からよく知っていたが、東京の弁護士会所属でもたまに徳島地裁の法廷に。仙谷さんが法廷に入ると裁判官や若い検事は完璧に圧倒されていた。
弁護士が裁判の訴訟指揮を執っているかのような雰囲気に持ち込んでしまうから、凄い弁護士だなあと、刮目していた。

この頃の仙谷さんは不遜な感じで、こちらが挨拶をしても会釈もくれなかった。しかし衆院選出馬が決まった直後、徳島空港でお会いしたら、向こうからこちらに全力疾走で。丁重なご挨拶をいただいたから、また凄い人だなぁと。私は好きな政治家だった。

 

私は日本総研寺島実郎さんを通じ、親しく

党派はずっと異なっても、いろんな話をしていただいた。実は私が懇意にしている(社)日本総研の寺島実郎さんと仙谷さんは昵懇の間柄。三人で食事をしたこともあった。
まだ民主党が政権にもついていない頃、寺島さんは『森本君、僕は仙谷を総理大臣にしたいんだよ』と、言っていたことを思い出す。
仙谷さんは東京ではまた地元とは別の顔があり、超大物の財界人も仙谷さんを囲んでいた。

 

自民党と国民の批判、一身に受け

民主党政権時代は官房長官として、いいことも悪いことも全てを一身に受けたのでは。野党自民党や国民からの風当たりは凄まじく、気の毒な感じがした。

人材不足の民主党。官僚らの相談やレクチャーは、どうしても仙谷さんに集中してしまうと、霞ヶ関では定説だった。同じ弁護士の後輩として、立憲民主党代表の枝野幸男さんらを育てた。

現職時代、胃がんになりかなり進行していたが、当時、まだ政治家は病気を隠す時代に、きちんとカミングアウトしたことも話題に。『胃をとったら食べ過ぎないようになったから、いろんな数値が正常になり、健康になった』と言っていたのを思い出す。

もう政界は引退していたが72才は余りにも早い。
心からご冥福をお祈りいたします。

もりもと なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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