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全共闘OBが新聞記者だったあの時代。忖度報道などあり得なかった

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元全共闘活動家が記者クラブにいた時代


どこへ行ってもわれわれの少し上の先輩たちの中には元学生運動の活動家がいる。1年生記者の駆け出し時代、警察の記者クラブに配属されたが、3〜5年上の大手新聞、通信社の記者たちはほぼもれなく、いろんな大学の元全共闘の活動家だった。

当時のマスコミや公務員採用は、学生時代の活動歴や逮捕歴はそれほど問題なかったというか、調べなかったのかも知れない。逮捕歴のある人も、特に珍しくなかった。

◆取材姿勢には高い問題意識と強い姿勢があった

この数年前まで大学キャンパスや街頭で、壮絶な闘いを繰り広げたはずの警察官と元活動家。両者が今度は取材という形で和気藹々の雰囲気で仕事をしているのがおかしくもあり、微笑ましかった。そんな時代だったんだと思う。

しかしそこは警察。元活動家が警察の庁舎内で仕事をする訳だ。公安が彼らの前歴はちゃんと調べていた。記者クラブの電話も一部、盗聴されていたような気がする(退職した公安OBから聞いた話し)先輩からもそんな話しを聞いていた。

しかし彼らの社会へのたゆまざる問題意識、簡単に丸め込まれない強い姿勢、そして熱さ…。ポスト団塊の私には大いに参考になったし、感化された。

彼らとの触れ合いが、その後の私の記者生活をしっかり支えるバックボーンとなったのは間違いない。後の私の議員生活や政治活動でもその思いは微塵も崩れなかった。

最近の忖度報道に泣く


当時は大学を退学した、退学せざるを得なかった先輩もたくさんいた。われわれが卒業する頃は大学闘争の熱はすっかり冷め、セクト間の壮絶な内ゲバの時代に変わってしまっていた。

敵対勢力に襲撃されるのを恐れ、キャンパスに足を踏み入れることのできない先輩もたくさんいた。バイトの先輩に頼まれ、代わりに退学届の提出をしたこともあった。

卒業し大手マスコミに入れた者は幸せだったと思う。中退した先輩たちは苦難の人生を歩んだ人も多かった。

◆退職した彼らが今、幹部ならと思う

記者クラブの先輩たちのその後はどうなったんだろう。多くが東京や大阪の社会部へ異動した。生涯一記者を貫いた人ももちろんいるが、元活動家は結構、出世するタイプも多く、東京本社の重役にまで出世した人もいた。

大マスコミの大幹部が安倍総理とメシを食い、たかがそれだけのことで忖度報道していることが指摘されている。役員たちは大半が50代後半だ。

恐らく全共闘世代の役員なら、安倍さんとメシを食ったくらいでは、手加減のない報道姿勢を貫いたと確信する。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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