なんて素敵な人生なんだろう〜こんな生き方に凄く憧れた
半世紀以上前のグループサウンズ全盛期、人気絶頂のザ・タイガースにあってジュリーこと沢田研二と人気を二分したのがドラムのピーこと瞳みのるだった。
ブームが廃れGSのメンバーはジュリーのようにソロになったり、ショーケンのように役者になったり、ミュージシャンになったり。
それぞれの人生を歩んだが、一足早くタイガースを抜けた瞳みのるだけは全く異色の道を歩んだ。
彼はその後、一切のメディアとの関係を頑なに断ち、自分の選択した人生を粛々と歩んでいたのだ。

高校復学、慶応進学、そして慶応高校の古文の教師に
そして還暦を過ぎ、初めてメディアの前に現れた。74才の今、昔のメンバーらとまた好きな音楽を楽しんでいる。
ピーはいったいタイガースを辞めて何をしていたのか。何年に一度かは"あの人は今"的に消息は伝えられてはいたが…
まずタイガースを脱退した後、中退していた高校(京都府立山城高校定時制)に復学。猛烈に勉強し慶応義塾大学文学部中国文学科に入学していた。
ひとくちに猛烈に勉強というが、高校から数年間も遠ざかっていた人間が、超難関の慶応義塾大学に合格するのはハンパな努力ではなかったと思う。
過去は一切語らず慶応高校の中国語・漢文の先生に
そして慶応では大学院の博士課程まで進み、慶応義塾高校の中国語と漢文の先生になっていた。人格識見とも優れていなければ、慶応大学出身といえど附属高校の先生にはまずなれない。
そして勤務する学校では自分のGS時代の話しは同僚にも生徒にもひと言も語ることなく、黙々と中国語と漢文の人見先生(本名)として教育者の道を歩んだという。
途中、北京大学にも留学し、漢文の参考書も執筆している。過去を伏せても慶応高校では人見先生のハイレベルな授業は大変な人気で、教え子との慶応人脈も政界からマスコミまで広い。
今は音楽や中国語の研究者として中国と日本を行き来して民間外交にも力を発揮する多忙な生活だ。

ピーに見た団塊世代の凄さとこだわりの生き方
何処へ行っても日本中の女の子たちからキャーキャー騒がれたGS時代。そんな華やかな生活を何の未練なく捨て、真逆のストイックな人生を歩んだことに驚く。尊敬の念を禁じ得ないのだ。

普通の凡人なら女の子にモテた時代のことは絶対、忘れられないだろう。
そして定年退職後、またドラムのスティックを持つ。やっぱり音楽が好きだったんだと思う。今は疎遠になっていたタイガースのメンバーとも交流しているのは、嬉しい話しだ。
絵に描いたような団塊世代の凄さ。72才の時、35才年下の奥さんとの間に子どもを授かったというから、やっぱりピーは凄い。
もりもとなおき