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半世紀前、僕らが修学旅行に広島を選んだ意味。ずっと伝えたい

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きょうは75回目の広島原爆の日。
高校時代、修学旅行で初めて広島平和記念公園・原爆資料館を訪ねた時、ここは全ての日本人と、アメリカ人は一度は来るべき場所だと思った。

私たちの卒業アルバムから

政治の季節、修学旅行は迷わず広島を選んだ

修学旅行は学年で何ヶ所か候補をあげ、皆んなで投票によって決めたような記憶がある。

候補にあった楽しそうな東京コースより『広島』を選んだところが、'70安保という政治の季節に高校生活を送った、われわれの強烈な意思とこだわりであった気がする。
もちろん東京は多かったが、わが2年F組はほぼ広島でまとまった。

卒業アルバムから

息を飲むことしかできなかった原爆資料館

今更ながらだが、原爆資料館は息を飲む場面ばかりだった。私はコンクリートに残った人の残像、炭化した弁当箱、一瞬に溶けたガラス瓶、高い熱で石が違う鉱物に変化した…などが強烈に印象に残っている。
残像は人の影の部分が温度が低いため、人の姿が明瞭に残されたものだ。この瞬間まで元気だったこの人は、一瞬にして蒸発してしまったーとの説明に言葉も出なかった。

有意義だったアメリカからの若者たちとの意見交換

多くのアメリカの若者が来ていたのも印象的だった。『こいつら、原爆落としてよくここにこれたもんだな』と、腹の中では思ってしまったが、実は違った。時代を反映してか皆んなヒッピー風で、胸にはウッドストックの野外コンサートで有名になったピースマークのペンダントをぶら下げていた。

そして彼らと話すことで、彼らが原爆投下したアメリカを心から恥じ、様々な思いで広島に来たことが分かったのも、収穫だった。
英会話が得意なクラスの女子の通訳で、彼らとベトナム戦争について、核兵器について話しをすることもできたのだ。

オバマ元大統領の折り鶴をぜひ見たい

オバマ元大統領が折った折り鶴

子どもたちが小学生の夏休み、2人を連れて広島を訪れた。この時もアメリカからの人たちがいっぱいだった。
長女は私が初めて訪れた時とアメリカ人について同じ感想を持ったが『彼らがここで見たことを、国に帰って皆んなに話すことが大切なんだ』と、説明した記憶がある。

オバマの折った折り鶴を見に、もう一度、平和記念公園と原爆資料館を訪れたい。

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

morimoto_ naoki72

森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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