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原爆投下の日、広島で生まれた聖火最終走 坂井君に感動した外国選手

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聖火最終ランナーは19才早大坂井青年だった

東京オリンピックの聖火最終ランナーは早稲田大学1年、競争部の坂井義則だった。雲ひとつない真っ青な東京の空の下、白い煙をたなびかせながら国立競技場に入った坂井青年が、聖火台までの長い階段を駆け上がる姿をテレビで見て、子どもながら胸が熱くなったのをきのうのことのように、覚えている。

 

外国選手、原爆投下の日に生まれた坂井青年に感動

1964年10月10日の開会式。実は整列した外国選手の列の一部が、坂井青年が聖火を掲げて入って来ると、大きく乱れたことを10日、NHKニュース9が取り上げていた。

当時はそんなことニュースにもならなかったが、市川崑監督の映画『東京オリンピック』を観ると、確かに。
特にアルゼンチン選手団だと突き止めたNHK取材班は空路、アルゼンチンへ。何と当時の陸上女子選手、サッカー選手に会い、列を乱した理由を聞き出した。
2人は別々の取材だったが、同じコメントだったのにも驚かされた。
『聖火にも感動したが、何より最終ランナーが広島に原子爆弾が落とされた日に広島で生まれた青年だと聞いていたから、彼が走り込んで来たのを見て感動した。そして近くでこの青年を見たかった。そんな日に生まれた子が…とまた感動し、写真を撮ったんです』と。

 

アマチュア精神が生きていた理想の五輪は東京五輪だったと

確かに坂井青年は広島市に原爆が落とされた1945年8月日の、投下から1時間半後に広島県で生まれた。
坂井青年はこのオリンピックには出場できなかったが、後のアジア大会に出場。800mリレーで金メダル、400mで銀メダルに輝いている。
大学卒業後はフジテレビに入社し、報道のスポーツ畑を歩き、オリンピック取材などを担当した。

 

坂井さんのオリンピックへの考え方の変遷

『平和の祭典などという美しい言葉は捨てた方がいい。五輪はアマチュアの祭典でも平和の祭典でもなくなった。金もうけのための祭典じゃないですか』と、晩年、語っている。

アマチュアリズムが生きていた理想は東京オリンピックだったとも。

坂井さんは2014年、69才で亡くなった。
NHKにしてはいい番組だった。

もりもと なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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