1970年頃まで国立大学の年間授業料は12000円、月にしたらわずか1000円だった。いくら現在より物価が安いとはいえ月1000円は当時でもほとんど無償に等しい。当時はここまで高等教育に対し国は手当していたんだ。

私立でも年間6〜8万円。それでもいけない人もいた
この頃、私立は早慶など多くは年間8万円だから月7000円弱。それより安い中央大学や立命館大学が6万円だから月5000円だった。
これでも私立は今と比べれば激安だが、まだまだ貧しい家庭は多く、『国立なら大学へ行かせてやるが、私立はダメ』と親に厳命されている高校生はたくさんいた。
そして年間2万の差でも家計を気遣い、早慶じゃなく中央や立命館を選ぶ友人は、私の周りにもいた。
"身の丈"じゃなく公平な受験制度をつくるのが国の責務
萩生田文部科学大臣の『身の丈に合わせて頑張れ』という発言が、批判を浴びているが、当然だ。

公平であるべき学力試験が、これでは親の収入などの格差を、子がハンディとして甘んじて受けろということに他ならない。
全ての受験生が経済的格差のない中、公平に試験を受ける環境を作るのが、文科省の役割じゃないのか。
これではその責務を放棄したに等しい暴言だろう。
国立大学授業料はなんと半世紀で45倍にも高騰した
大学の授業料が安かったのは団塊の世代とその少しあとまで。1975年には国立大学は年間36000円に。まだまだ安かったが、以来急激な右肩上がりとなり翌年にはいきなり96000円に。
1978年14万4000円、1987年30万円、平成2003年はついに50万円を突破、52万8000円、現在は53万5800円となっている。
時代が違うとはいえ半世紀でなんと45倍以上にもなっている。初任給はせいぜい2倍強だろう。私立などは文系でも軒並み100万円を超えている。授業料以外に入学金、受験料の高騰も著しい。
全員が同じ身の丈で勝負できる公平な受験制度つくるべき
萩生田氏に言われなくとも、国民は身の丈に合わせて生きている。もちろん受験生も。
しかし貧富の差を超え同じ土俵で闘うのが、公平な受験制度だ。
せめて受験くらい全員が同じ条件で臨めるようにするのが文科省の役割だし、優秀な人材を発掘する。それが引いては日本のためだ。
もりもと なおき