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可決しない内閣不信任案をほのめかす虚しさ。'93は国民が興奮した

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野党が一番、虚しいと分かっている効果なき内閣不信任案

内閣不信任案をほのめかせば安倍に『それなら解散するぞ』と揺さぶられたら引っ込め、今度は麻生と岩屋の2人の大臣に対する不信任案提出で落ち着いたようだ(これなら解散はないから⁈)

まぁ、これだけ与野党の数が開いていたら1万%不信任案は通らないから、単なるセレモニーになってしまう。
国民も"野党良くやった"とは1人も思わないし、来たる選挙でも1票も増えないとは思う。もっと違った闘い方はないのか。

政治のダイナミズム感じた'93の宮澤内閣不信任案可決と総選挙

内閣不信任案可決による衆議院解散は戦後4回あった。最後は1993年6月18日。この解散、そして総選挙ほど政治のダイナミズムを感じたことはなかったし、非自民連立政権の誕生にも、日本が大きく変わっていくんじゃないかとの、胎動を感じたものだ。

名付けて『嘘つき解散』だった。
宮澤喜一首相が『今国会中にやる』と明言していた衆院の選挙制度改革だったが、党内をまとめ切れず先送りしたことに社会党、公明党、民社党のいわゆる社公民が強く反発。内閣不信任案を提出することになった。

もちろん社公民に共産だけでは可決は無理だが、なんと自民党を牛耳っていた竹下派経世会が凄まじい権力闘争の挙句、分裂したから、政治の先は分からない。
羽田孜や小沢一郎 らが新派閥フォーラム21を結成し、内閣不信任案に賛成。他にも造反者が続出し、ついに可決となった。
宮澤首相はもちろん衆院を解散した。

凄まじかった小沢や橋龍ら旧竹下派七奉行の権力闘争

この造反劇はともかく竹下派の分裂が凄まじいものだった。
この前年、会長だった金丸信が東京佐川急便事件で東京地検特捜部に逮捕されたことに端を発し、派内人事や金丸の処遇を巡って、いわゆる七奉行が激しく対立した。

すなわち小渕恵三・橋本龍太郎・梶山静六の3人と、小沢一郎・羽田孜・奥田敬和・渡部恒三4人。対立が表面化し、激しい主導権争いを繰り広げた。

最終的に竹下登の工作などで小渕が経世会会長に就任。小沢らは経世会を脱会し、羽田を先頭に改革フォーラム21(羽田派)を結成した。
これによって党内最大派閥は完全分裂し、小渕派は党内第4派閥、羽田派は第5派閥に転落した。

羽田派は宮澤に政治改革関連法案を通すように迫ったが聞き入れられず、不信任案に賛成することになった。

非自民連立政権…一瞬ではあったが、輝いていたと感じた

この解散後の政界再編もダイナミックなものだった。小沢一郎や羽田は新生党を結成。
不信任案に賛成はしなかったものの武村正義や田中秀征らも新党さきがけを結成
して衆院選挙に。

竹下派を割った新生党の旗揚げ



武村正義ら新党さきがけの旗揚げ


細川護熙の日本新党も初の衆院選挙に臨み、いずれの新党も圧勝。社公民など9党派・グループで非自民政権が誕生した。
そして後の新進党に繋がっていく。

この第40回衆院選挙の投票率は67.26%だった。これだけ高いとやはり時代は動く。

もりもと  なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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