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吉田拓郎の名曲『夏休み』そのものだった僕らの時代の夏休み

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吉田拓郎作詞・作曲の名曲『夏休み』を聴くと否応なく幼き日の夏休みがよみがえる。歌詞に出てくる麦わら帽子や花火、セミ、水まき、スイカは全て僕らの夏休みのキーワードだった。

川で遊んだ日。左が私、真ん中が公立病院で院長を務める河辺君、右が元南山大学教授の石田君

何故か遊ぶ時は麦わら帽子を被るのがお約束だった

家を出ようとすると必ず母親に『麦わら帽子、ちゃんと被っていきなさいよー』と、大きな声でいわれたものだ。

川で遊んでクタクタになっての帰途、駄菓子屋で買って食べたアイスキャンディーの美味しかったこと。
家路を急がないと、入道雲の間から稲光とゴロゴロという雷の音が。
タッチの差で夕立に打たれびしょ濡れになることもあった。

帰ると母親がら必ずスイカを切ってくれた

家に帰ると必ず母親がスイカを切ってくれた。当時のスイカは今よりずっとタネが多かったから、皆んな縁側でタネを飛ばしながら食べたものだ。

晩ご飯を食べ、日が暮れたら必ず家の前で花火をした。
線香花火の火が落ちないよう、きょうだいで競ったような気がする。
この後、寝る前には必ず絵日記を描いた。さすがに毎日はネタ切れでキツかったのを思い出す。

田んぼのおたまじゃくしはいつの間にかカエルに

別の日はセミ取りに野山を駆け巡った。帰途、田んぼのあぜ道を通るとカエルの卵はいつの間にかおたまじゃくに。日に日に小さな足が出て、カエルに近づいていく姿を観察した。

夕方は家の花壇や家の前にホースで水まきするのも、子どもの役目だった。一緒に金魚の水槽を洗ったり、飼っている亀の甲羅も綺麗にしてやった。

向日葵が身長の倍になると楽しかった夏休みも終わりに

塾などなく、学校以外の場所に勉強に行くなど、当時は想像もつかなかった。ゲームも無いから朝から晩まで外に出て、真っ黒になるまで遊び呆けた夏休み。腕や背中の皮は2回は剥けた。

なぜだか知らないがどの家にも向日葵が咲いていた。この向日葵が僕らの身長の倍くらいに成長すると、楽しかった夏休みも終わりを告げた。
こうして僕らの夏休みは吉田拓郎の名曲『夏休み』とまるでそっくりだった。

コロナウイルスの感染が無くても家族で海外旅行したりディズニーランド(まだある訳ないが)へ行くこともなかったが、何故か楽しい夏休みだった。

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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