『あなたの優しさがなぜ怖かったのか…名曲神田川を書いた喜多條忠さん逝く』
みなみこうせつとかぐや姫の『神田川』がヒットしたのは大学1年の時だった。
早稲田の近くを流れる神田川べりの、3畳ひと間で同棲するカップルの甘くも切ない日常を歌ったものだ。時代背景は1968〜1969年頃。

当然、歌の登場人物は僕らと同じ早大生だし、2人が通った横丁の風呂屋も安兵衛湯であることはすぐ分かった。
当時は近所でもないのにわざわざ安兵衛湯に入りに行き、『神田川』の世界を味わうヤツもいた。
この名曲の中で、第一人称は彼女で、"あなた"は、作詞した喜多條忠さん本人だと、思われていた(後にどうも逆だったような話しとなったが…)
あの時代、貧しさは皆んな同じでも、恋人との焼けつくようで、ささやかな生活があっただけ、僕らは羨ましかったものだ。

その喜多條さんの悲報が届いた。74才。団塊の世代ど真ん中。肺がんとのことだった。
作詞家喜多條さんは、かぐや姫の『神田川・あかちょうちん・妹』猫の『各駅停車』など、歌で僕らの青春群像を彩ってくれただけじゃない。
吉田拓郎とのコンビでヒットさせた梓みちよのメランコリーはじめ、多くの歌い手さんのヒット曲を手がけた巨匠でもあった。
またご両親は徳島県の海部のご出身であり徳島の人には馴染みも深かったのだ。
若かったあの頃/何も怖くなかった/ただあなたの優しさが/怖かった
(神田川より)
この歌詞の意味は実は深い。
時代は'70年安保闘争前夜。学園紛争の活動家だった詩の主人公。闘いは何も怖くなかったが、狭い下宿に帰り彼女の優しさに埋没してしまう自分…
それが怖かったのかもしれないと、喜多條さんは後に解説している。
僕らが大学の同級生のアパートでかぐや姫のLPレコードをかけ、神田川の解説をし合ったことを昨日のように思い出す。
その場にいたのはずっと仲の良い4人だったが、昨春、親友の山崎が肺がんで旅立つなど、実は僕以外はもういない。
もりもとなおき