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団塊世代がこの国を支えたように、団塊Jr.に日本の行く末を委ねたい

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'60年代後半から'70年代初めにかけ日本社会を席巻したグループサウンズ(GS)と全共闘は、第一次ベビーブーム世代=団塊の世代のエネルギーが生み出したものだ。

僕らよりわずか数年早く生まれただけなのに、我らポスト団塊世代はこの世代にはとても太刀打ちできなかった。
私などせめて3年、母親に早く産んで欲しかったと、心から思ったものだ。
なぜならもっと面白く熱い青春、人生があったに違いないと、今だに思っている。

団塊のこのエネルギーを生み出したものは何かー。やはり数のせめぎ合いだろう。彼らには生きていくうえで、常に凄まじい競争があったのだ。

出生数を見ても団塊のど真ん中、昭和24年は年間270万人も生まれている。昨年はその3分の1以下、わずか84万人だった。

当時の学校はひとクラス50人超は当たり前だった。高校受験、大学受験はとんでもない競争率。落ちこぼれても社会は全く面倒もみてくれない。
親たちもまだまだ貧しかったし、自力で這い上がるしかなかった。

この中で勉強より音楽やバンド活動に走ったのがグループサウンズだ。雨後の筍のように誕生したバンドは泡のように消えていったが、日本の音楽シーンに強烈な歴史を刻んだのは間違いない。
ハイティーンの女の子たちをこれだけ熱狂させたものは過去も現在もGS以上のものはないんじゃないか。

そしてGSとまさに時を同じくし、全国の大学では学園紛争が吹き荒れた。
参加するのは秀才から受験負け組まで様々だった。

1969年1月17日 東大安田講堂事件、全学共闘会議(全共闘)が、暴力的手段をとり東京大学本郷キャンパスを違法に占拠していた事件と、大学から依頼を受けた警視庁が1969年1月18日から1月19日に封鎖解除を行った事件である。東大安田講堂攻防戦ともいう


そもそも全共闘は東大医学部の講座制に反旗を翻す闘いから始まった。そして日大では学生たちが経営者の乱脈経営を追求する中で日大全共闘が誕生。
あっという間に全国の大学に飛び火し、ベトナム反戦や安保闘争として大きな政治闘争となった。
この団塊世代はその後も高度成長期を支え、企業の中でもずっと主流を歩き、日本の豊かさを牽引した。

今の日本社会というより若者世代の元気の無さ、活力の無さをみると、その主たる原因はやはり競争と無縁の幼少期〜青春期を過ごしたからかもしれない。

現実に団塊はもちろん、団塊の子供たち、いわゆる".団塊ジュニア世代"('71〜'75生まれ)も子供も数は多く、なかなかの競争社会で揉まれている。
'73は209万人も生まれているから、幼少期から厳しい競争があったはずだ。

私の知る限りでもこの団塊ジュニアたちは団塊の親たちに負けず劣らず、パワフルな世代だ。
私は沈滞した日本の行く末はこの世代に委ねたい。

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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