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大学教授になった石田君は、少年時代から優等生だった

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『少年時代の優等生はおとなになってもやっぱり優等生だ』

子どもが通っていた塾のカリスマと言われた先生が『小学5〜6年で良く勉強できる子は、ほぼ大学受験まで心配ない』と言っていた。
確かに自分の少年時代を思い返しても、5〜6年生で勉強だけでなく何でもできた同級生は、おとなになってもほぼ例外なく皆んな活躍している。

私の小学校の同級生ではやはり竹馬の友、石田裕久君だ。飛び抜けて頭が良く、勉強ができた。
もちろん当時のことだ。塾など行く訳がない。家でガリ勉する訳がない。いつも元気に遊んでいた。

ではなんでと思うが、地アタマが良かったのだろう。彼の通信簿は毎学期オール5。私などはせいぜい5が3〜4個。3もあったから、足元にも及ばなかった。

あと記憶をより戻すと、石田君は先生(天野先生)の信頼が厚かった。天野先生が授業を離れて自習になる時は、『石田、頼むゾ!』みたいな感じだった。
何でもクラスや学校代表で、どんなことでも難なくこなしていた。児童数1200人もいた学校だから、普通は簡単に代表にはなれない。

さてその石田君だが、その後、どうなったのか…
われわれが子ども時代に言われたのは、"末は博士か大臣か"だ。
こんな格言通りの子どもは万に1人だが、石田君はやはり期待に違わず大学教授になっていた。

東海地方の俊英が集う名古屋大学に進み、卒業後は東海地区1番の名門私大である南山大学の心理学の教授になったのだ。
全く意外でもない。トヨタ自動車やJR東海に勤める石田君こそ、想像できなかった。われわれの期待にちゃんと答えてくれたのだ。

彼は勉強ができるだけじゃない。人のお世話もするし友だち思いだ。私に癌封じのお守りも送ってくれたことには感激した。

5年3組〜6年3組だが石田君以外に女子のリーダーには泉ちゃんがいた。この2人が同窓会のお世話をしてくれる。
泉ちゃんもいつもメッセージで励ましてくれるが、実は小学校の時、私が失礼なニックネームをつけた。それは中学、高校まで引き継がれたそうで、私も猛省している。


泉ちゃんが夏に送ってくれた渥美半島伊良湖岬のメロンは感動的な美味しさだった。

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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