ひとりで警察の記者クラブで迎えた大晦日の夜
独身時代、大晦日は警察の記者クラブで深夜までひとりで過ごすことがよくあった。なぜか毎年、12月31日の宿直は私になっていたからだ。

普段は記者クラブには他社の連中もいるが、大晦日の新聞は全国紙は降板がかなり早い。だから夜7時になれば誰もいなくなり、降板が比較的遅い地元紙の私だけになったのだ。
警察キャップの平野先輩は私を気遣って『早めにあがってトルコ(ソープ)でも行って今年のアカを落として来い!』とか、思いやりのあることを言ってくれたが、1年の最後に事件を落とすのも嫌だから、じっと待機したものだ。
レコード大賞を観てNHK紅白を観て宿直へ
さて昔の県警本部は暖房の効きも悪く、毛布にくるまってテレビを観るしかなかった。
当時は日本レコード大賞は大晦日の民放最大の行事。午後7〜9時までやって、大賞はじめ各賞受賞者は、会場の帝国劇場から紅白歌合戦のあるNHKホールまで、わずか数分で駆けつけなければならなかった。
そんな訳で大晦日は記者クラブで観て聴いた大賞曲が、青春の日々とともに未だに脳裏を駆け巡るのだ。
いい歌があった年は間違いなくいい年だった
ことしは筒美京平、なかにしれい、中村泰士と、レコ大曲の多くを作った天才作曲家、作詞家が相次ぎ亡くなったが、彼ら=レコード大賞そのもの。大賞はじめ各賞を総なめの年も多かった。
私がレコ大曲で必ず口をつくのはジュディオングの『魅せられて』や喝采(ちあきなおみ)やロマンチックが止まらない(C-C-B)、ブルーライト横浜(いしだあゆみ)、私の城下町(小柳ルミ子)、17才(南沙織)、津軽海峡冬景色(石川さゆり)、天使の誘惑(黛ジュン)、勝手にしゃがれ(沢田研二)…時代はややバラバラだが、大晦日になるとこの歌たちがよみがえる。
歌は世につれ世は歌につれ。いい歌のあった年は間違いなくいい年だった。
もりもとなおき