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大晦日宿直、明けて元旦も宿直。最年少記者の年末年始…

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パワハラ勤務も当然と思っていた新人時代

12月の勤務表が配られると、必ず31日大晦日は、私のところに『宿』と入っていた。独身、最年少だから当然だったが、12月半ばに1月の勤務表が配られる1日元旦はまたしても『宿』だった。
要するに宿直明けで宿直だった訳。31日から2日までぶっ通しで仕事をしろと。

部会では『なんぼ一番年下でも酷使するのもほどがある!』と、Y部長に意見を言ってくれた先輩もいたが、誰も正月から宿直はやりたくない。自分にお鉢が回ると嫌だから一同『シ〜ン…』で、終わった。

 

まあ、しんどいのはもちろんだけど宿直は全然嫌いじゃなく、何と言っても2日連続だと残業代はハンパなかった。

 

レコ大で暮れた大晦日。お節は先輩の奥さんが

宿直から宿直の年末年始はどんな具合だったかというと、31日は他社の連中は夕方には記者クラブから引き上げる。
だから深夜までひとりだ。出前はどこも休みだったから弁当を買ってきて食べて、ソファで横になってレコード大賞を。
未だに宿直〜レコ大で条件反射的に蘇るのが何故かジュディオングの『魅せられて』とか、渡辺真知子『カモメが飛んだ』とか。この後、紅白を半分観たところで会社にあがった。

 

元旦の取材は多い。まず初日の出。これはどこにするか自分で選んだ。あと8時には中央郵便局へ行き、『年賀状出発式』。
終わって社に戻ると差し入れが。私の宿直を気の毒がった2人の先輩が別々に、奥さんが作ってくれたお節の差し入れを届けてくれる。昼も夜もこれで充分過ぎた。

大晦日に殺しがあり、正月三ヶ日まで引きずったとんでもない年もあったが、交通事故やら火事くらいはあっても軒並み平穏だったような。

署長官舎新年会で酔って殴り合いを

デスクでうとうとしていると必ず徳島東署から電話が入り『もーさん、もうやっとるゾ!』と。
当時、東薯敷地内に1階刑事官、2階副署長、3階署長の官舎が入った建物があった。それぞれその官舎自宅で新年会をやっており、1階から3階まで順に上がっていかなければならない。

3階の署長宅までたどり着いた頃はみんな酔っ払ってドベドベ。些細なことから捜査の係長と殴り合いの喧嘩になり、署長ご夫妻に迷惑をかけたこともあった。
この新年会はとっくの昔になくなったとか。

ちなみに会社には地下に銭湯みたいなデカい風呂があり、新年からひとりで贅沢に。
先輩が『正月やのに会社抜けてもええから、ソープでも行ってくつろいできたら』と、親切に言ってくれましたが…当時はホンマに親切な先輩もいました。

やはり今も、若いヤツが宿直なんだろうか。

もりもと なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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