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学生時代のアルバイトは全て人生の生きる為のスキルとなっている

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学生時代は四六時中、働いていた。
3、4年時は自分の将来の職業に繋がり、かなり高給な長期アルバイトとなった共同通信社の政治部で働くことができた。
でも1年生から3年生になるまでは様々なアルバイトに精をだしたものだ。

大江健三郎の芥川賞候補作『死者の奢り』では、主人公は大学病院の解剖実習に使うホルマリン漬けの遺体を運ぶ、凄まじいアルバイトをしていた。

五木寛之は輸血用に自分の血を売り、飢えをしのいだり本を買ったと、述懐している。
もちろん僕らの時代は彼らより20年近くも後だ。1970年代の東京はそこまで身を削って仕事をしなくともいっぱい働き口はあったのだ。

数え切れないほどの職種をこなした。
土木作業などの肉体労働、クリーニング店の工場、肥料製造会社、訪問販売、清掃業務、世論調査員、遊園地、スタントカーチームのスタッフ、サーカス従業員、和菓子の配送、映画のエキストラ…など、上げればキリがない。

あと僕より先に卒業した鈴木のマー坊が社員となっていた読売新聞名古屋本社と、名古屋タイムズで夏休みだけ、働いたこともある。

マー坊とは名古屋の肥料会社、渋谷のクリーニング店で一緒に働いたが、未だに肥料会社の思い出話をするから、共に強烈な体験だったのだろう。

肥料会社にはいつも鼻毛を出している、クマさんという50代半ばの人の良い日雇いのおじさんがいた。重い肥料袋の担ぎ方、荷車のバランスの取り方など教わったものだ。

このクマさんだが、仕事をしながら何故か突然、何の脈絡もなく『あー、お○○こしたいがや!』と叫ぶのには驚き、力が抜けた。
恐らく慣れない肉体労働でクタクタの僕らを笑わせて元気づけてくれたのだが、パンチ力は強烈だった。

休憩の時、"いこい"を美味そうに吸っていた姿が忘れられない。

土木作業も良くやった。
まず早朝、集合場所に行く。一列に並び手配師に現場を振り分けられる。ところがせっかく友人と同じ現場に行きたくても、『はい、ここまでは埼玉戸田!』とか、自分の前後で切られ友人と離れ離れになる時もあった。

現場へは10人ほどがトラックの荷台に乗せられて向かったが『途中、頭を上げるな。現場に到着するまで伏せていろ』と指示された。
外が見えず、いったいどこへ向かっているのか分からなかった。使用者は道交法違反を恐れていたのだろう。

学生時代のアルバイトでの仕事は、その後の人生の糧になったのはもちろんだ。私は社会部記者としてのスキルにもなったと思っている。

(バイトによって顔も違うね。左上、共同通信政治部時代。時計回りに肥料会社、クマさんのいこい、肉体労働時代、遊園地やイベントバイト時代)

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

morimoto_ naoki72

森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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