政治ジャーナリストながら安倍元首相に食事をごちそうになったり、まるで安倍政権のスポークスマン状態だったことから、"田崎スシロー"と揶揄されている田崎史郎さんは、菅政権に代わってもヨイショに余念がない。

今やジャーナリストじゃなく政治エンターディナーだ
これで元記者か、情けない、サイテーなヤツだなとは正直思うが、私は嫌いではない。権力者にべったりを売りにしたエンターテイメントだと、最近は思うからだ。
本人も別のコメンテーターに厳しく批判されても怒ることなく案外、人格者なんだと思う。
時事通信在職中は有能記者であったことは昔の記者仲間なら、異論はないようだ。現役時代からこんな太鼓持ちみたいな記者だったのかと思ったていたらとんでもない。
政治記者としては他社の優秀な記者が一目置く、それなりの存在だったようだ。
永田駅を震撼させた『竹下派死闘の七十日』の出版
実は先日、わが家の本箱から田崎さんの著書を発見した。『竹下派死闘の七十日』(文春文庫)。初版で2000年11月10日だからもう20年も前だ。

そしてこの本は実際には1995年、講談社から実名ではなく、ペンネームで出版されていた。
タイトル通り竹下派(経世会)七奉行といわれた橋本龍太郎、小沢一郎、梶山静六、小渕恵三、羽田孜、渡部恒三、奥田敬和による凄まじい権力闘争が、まるで当事者のように描かれている。
外交の話しもない、高邁な政策の話しもない。彼らの骨肉の争いのみがまさに暴力団抗争さながら描かれている。
あまりに生々しい内容で、当時は著者の犯人捜しさえ行われたが、『田崎さんしか書けないだろう』というのが、優秀な記者の間では定説になっていた。
そして5年後、田崎史郎の実名で改めて発行したようだ。
政治家の懐に深く入り込み、政治家に魂を売ってしまった?
この本を読んで分かるのは、田崎さんが政治家の懐に深く入り込む、即ち政治家から信頼される記者だったのだろう。
これだけのノンフィクションを書ける記者が、なぜに政治家に魂を売ってしまったかと、いうことだ。
安倍政権以来、メディア幹部の政権への忖度。そしてす内閣記者会に代表されるように、記者の質の低さ、意気地の無さが際立ってきた。
そして菅政権ではさらに権力に屈服してしまったかのような姿勢が目に余る。
本来なら田崎さんのような海千山千の記者が、きちんと闘う姿勢を後輩たちに見せて欲しいのだが、テレビで活躍する様子を見ると、ますますジャーナリストから遠くなっていくようだ。
もりもとなおき