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安田講堂攻防から50年。保守化する若者。日本は良くなったのか?

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学生VS.機動隊、天下分け目の闘いだった

東大安田講堂に東大はじめ全国の学生運動活動家約2000人が立てこもり、8500人の機動隊と壮絶な闘いを繰り広げてから昨日で50年が経過した。

講堂から機動隊に向かって投げられる石や火炎瓶。石がなくなればハンマーで講堂のコンクリート壁や床を打ち砕き、投石用の石とした。

 

これに対し機動隊は厳寒の中、学生たちに対し絶え間ない放水と催涙ガス弾で応酬。頭上のヘリコプターからも催涙ガスを撒き散らした。
かくして丸2日間、不眠不休の闘いの中、安田砦は陥落した。
重傷者続出、双方、あまりに犠牲は大きかった。
機動隊の総指揮官は昨年、亡くなった佐々淳行さんだった。佐々さんにとっても長い警察生活の中、忘れられない思い出だったようで、テレビ番組などでよく当時を振り返っていた。

感動的だった最後の時計台放送

私はニュースにも流れた最後の時計台放送が忘れられない。演説は当時の東大医学部生で、安田講堂防衛隊長、後の長野県諏訪中央病院長から参議院議員となった故・今井澄さんと、言われている。

最後、講堂てっぺんまで追い詰められた学生ら。時計台放送のあとインターナショナルを歌い、全員逮捕された

 

山本義隆全共闘議長は、機動隊導入の直前に逮捕状が出たことや、組織防衛から、東大構内から去ることとなった(本人は残留を希望していた)ため、今井さんが事実上学生側の現場責任者となった。

陥落の時、今井さんが行った最後の時計台放送のメッセージは、

『我々の闘いは勝利だった。全国の学生、市民、労働者の皆さん、我々の闘いは決して終わったのではなく、我々に代わって闘う同志の諸君が、再び解放講堂から時計台放送を真に再開する日まで、一時この放送を中止します』というものだった。

 

学生たちはいつのまにか熱くなくなった

あれから50年。今井さんが言った真の時計台放送は再開されることなく、学生たちはどんどん保守化している。

学生運動は遠い過去の歴史の彼方に消えてしまったかのようだ。

2002年、今井さんが62才で亡くなった時、院長だった諏訪中央病院の彼のロッカーには、東大全共闘の古びたヘルメットが大切に保管されていたのが見つかったという。

もりもと なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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