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小沢一郎『在職50年』。今、野党を結集できるのは彼しかいない

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衆院議員の小沢一郎さんが議員在職50年を迎えたという。憲政の父・尾崎行雄、わが徳島の三木武夫、お隣淡路島の原健三郎、先日亡くなった中曽根康弘、桜内義雄(衆参通算)に次いで6人目。もちろん現職ではただ1人だ。
国会内に銅像が建つ。

ジェットヘリで降りたち、颯爽と去っていた選挙応援

小沢先生との思い出で忘れられないのは、1996年、岩浅嘉仁前阿南市長が2度目の衆院選挙を前知事を相手に戦い、小沢先生が応援に駆けつけたときのことだ。

新進党首として全国の候補者の元に向かうから、滞在はわずか10分だった。ジェットヘリで小松島市内の田んぼ(前夜鉄板を敷き詰めた)に降り立ち、1000人の聴衆が待つ近くの小松島ルピア駐車場に。

この時、前振りの演説をしたのが、44才、県議になって3年目の私だった。『衆院選挙でなんとしても新進党が勝利し、小沢総理を実現させよう!』と、興奮気味に演説したことを昨日のことのように覚えている。思えば人生の華だったなぁ(笑)

非自民政権を2度に渡ってつくった手腕をもう一度

その後も圓藤寿夫知事と面会に行ったり、酒席で1時間も話しをしてくれたことも。

小沢さん、圓藤さん、私


教育の問題、日米関係など、私の幼稚な質問にも熱っぽく真剣に答えてくれたのが印象的だった。

とりわけ米国追従でない日米関係を目指す考え方については感銘を受け、やはり日本のリーダーになるべき政治家だと、確信した。

小沢一郎先生は47歳で自民党幹事長に就任後、党内抗争で橋本龍太郎氏らに敗れ、政治改革を掲げて党を飛び出した。

しかしこの後が小沢一郎の真骨頂だ。自民党と対決して1993年に細川連立政権、2009年の民主党政権と2回の政権交代の立役者となったのはやはり凄い。

民主党政権の大幹事長の時は、党幹部でさえもなかなか会えないほどの存在感だったが、何故か小沢先生と仲が良かった私の同士の長池武一郎県議(故人)がアポをとったら直ぐに。幹事長室で1時間以上もいろんな話しをしていただいた。

実はこの時、こちらが20分くらいで失礼しようとしたら『えっ⁈まだいいじやないの』と、逆に引き留められ、さらに話しが弾んだ。

総理大臣より自らいばらのみちを選んだ小沢一郎

小沢一郎といえば、じっとしていれば自民党総裁・内閣総理大臣に40代で確実と言われた時があった。
時の権力者、竹下登、金丸信の寵愛を受け『金竹小』は政界を思うように牛耳り、自民党の大幹事長として君臨していた頃だ。

寡黙なので誤解されやすく、宮澤喜一、渡辺美智雄両氏ら総裁候補3人を党本部に呼びつけて行ったという小沢面接が『傲慢不遜な小沢』のイメージを決定的にした。
(これもメディアの偏った報道で真実は違う)

今、野党勢力をまとめる力があるのは小沢さんしかいない

さてモリカケ以来、安倍政権が揺らぎ続けていても、野党のバラバラ感も否めない。

立憲民主党と国民民主党が一つになるべく話し合いが続いているが、先日も枝野、玉木両党首同士の合併話しも双方の思惑が違い、決裂した。

今こそ一塊りになれば勝てるというのが小沢さんの自論。『世の中を変えるためには自分を変えなければならない』と、小沢さんくらい自己変革を行った人を知らない。
共産党から山本太郎まで、全ての野党勢力と向き合って話しができるのは、小沢一郎だけだろう。
枝野、玉木に任せてはいたずらに時間が経つだけだ。年齢的にもう最後となるが、小沢一郎の最後の大仕事をして欲しい。

もりもと  なおき

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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