幸せだった昔の夏休み。麦わら帽子で遊びほうけた
夏休み。毎日、麦わら帽子を被って遊びに行き、カブトムシやクワガタ、セミを追いかけて野山を走り回った。午後は学校のプールか川で遊び、川ではさかなやザリガニをとった。たまに入道雲の合間から夕立に襲われ、帰ったら母親がスイカを切ってくれ、少し昼寝をした。夕方は自分の背丈より高い向日葵の咲いた庭や、家の周囲に水撒きだ。ついでに金魚の水槽やカメの甲羅も洗ってやった。晩ご飯を食べたらきょうだいで花火をし、8時半には寝ていたような…絵日記には事欠かなかった長い夏休みの平凡な1日。
川で遊んだ小学生時代。右が石田君(南山大学教授)真ん中が動物飼育係りを一緒にした河辺君(某市立病院長)左が私
吉田拓郎の名曲『夏休み』そのもののような僕たちの夏休みの生活
そらそうだ。拓郎さんと大きく世代は変わらないもんなぁ。
恐らく当時は地方も東京も、そんなに夏休みの子どもの生活は変わらなかったと思う。東京にもたくさん自然は残っていた。子どもたちからこんな幸せな毎日を、誰が奪ってしまったんだろう。
ところで拓郎さんの『夏休み』。当時の子どもの生活を淡々と歌詞にしているが、戦争と原爆へのメッセージソングでは…との説もある。拓郎さんは鹿児島生まれの広島育ち。
ファンの間にもふた通りの意見がある。広島フォーク村を作ったころ、イメージの唄を引っ提げて上京した頃、この歌を作ったころの時代背景を考えると、私は吉田拓郎が戦争、原爆への思いを歌に託した静かなメッセージソングだと思う。その証拠に拓郎さんは語らないから。
熱中症でなかなか外で遊べないかもしれないけど、今の子どもたちにも、こんな夏休みを過ごさせてやりたい。
夏休み
作詞:吉田拓郎
作曲:吉田拓郎
麦わら帽子は もう消えた
たんぼの蛙は もう消えた
それでも待ってる 夏休み姉さん先生 もういない
きれいな先生 もういない
それでも待ってる 夏休み絵日記つけてた 夏休み
花火を買ってた 夏休み
指おり待ってた 夏休み畑のとんぼは どこ行った
あの時逃がして あげたのに
ひとりで待ってた 夏休み西瓜を食べてた 夏休み
水まきしたっけ 夏休み
ひまわり 夕立 せみの声
もりもと なおき