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広島原爆の日の地元中国新聞に見た新聞記者の矜持

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新聞記者の矜持を見た思いがした原爆の日の広島・中国新聞

ちょっとした編集上の遊びのようなものだが、原爆の日の広島・中国新聞ラテ欄を見て、新聞記者の矜持を痛いほど感じた=写真

カープにエールを送りながら、なんて素晴らしい広島県民へのメッセージだろう。

新聞というのは政治部や社会部の記者だけが作っているのではない。
例えば大新聞ならこのほか、取材部門なら文芸や家庭、科学、外信、社説やコラムを書く論説委員会がある。

そして記者が出稿した原稿を分かり易く、美しく紙面にレイアウトするのが整理部というところ。

記事を生かすも殺すもこの整理記者の胸先三寸。短い記事でも凸版の大見出しを付けてもらえば堂々たる記事になる。

逆に自分では力作と思っても、紙面編集上、記事を短くされたり陳腐な見出しを付けられたら、インパクトのある記事も台無しに。

どんな部署にいても新聞記者の矜持を持ち続ける価値

この整理記者の価値観とかニュースセンスは極めて重要で、私など下手でセンスの悪い見出しを付けられた時には、いつも腹が立っていた。

この度の中国新聞のラテ欄は、ラテ欄担当の整理記者のちょっとした遊びだと思う。

しかしこうした編集部門で一番地味な部署にありながら、この日の広島の思い、心を見事に読者に伝えたのではないだろうか。

何も花形の政治部や社会部の記者じゃなくても、新聞記者の矜持は示すことはできる。

私はどんな部署で働いていても新聞記者の矜持を示せるんだという、中国新聞の担当者の心意気に、実はかなり感動した。

もりもと  なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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