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徳島そごう37年。衰退は歴史の必然もやはり地方都市の顔だった

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徳島そごうが閉店までのカウントダウンに入った。37年前の1983年、地方都市に黒船のように乗り込んできた大手百貨店の隆盛から衰退までは、まさに日本経済の移り変わりのモデルケースのようだった。

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そごう撤退は地方を切り捨てる大資本の無責任さの証明

地元紙で当時の模様や背景を連載しているが、懐かしさとともに大資本の無責任さと、地方経済の脆弱さを改めて感じることばかりだ。

撤退されないよう打つ手はなかったのかとの声もあるが、大きな時代の流れの中、この日がくるのは37年前から決まっていたような気がする。地方政治や行政の力では流れを止めることは到底、無理だったのだ。

『おごる平家は久しからず』のことわざもあるが、おごろうが謙虚だろうが、所詮時代には贖えなかったんじゃないだろうか。

事故を心配した初日の人出のもの凄さ

開店の日は本当に凄いとしかいいようがなかった。1日に15万人が入店したというのだから、いまからは想像すらできない。そしてその日の売り上げは3億5000万円だったという。人も売り上げも気の遠くなる数字だ。

とにかくそごうがそびえる元町交差点には人があふれた。歩道橋や2階エントランスの上は身動きがとれないほどで、見ているだけで歩道橋落下の恐怖さえ感じたものだ。


その後の7〜8年間は9階レストラン街は日曜日昼はすんなり店に入ることもできず、長い列ができた。各階にあるパーラーもまず入れなかった。

バブルからバブル崩壊、そして経営破綻へ

しかしやはり永遠というものはない。開店から3年後のバブル景気のスタートで、徳島そごうはまさに我が世の春。相変わらず駐車場には車が長い列をつくった。売り上げが未曾有の444億円を記録したのもこの頃だ。

そして5年後の1991年、ついにバブル崩壊へ。時すでに平成であったが、開店から10年を待たず多難な時代に入った。

といっても徳島唯一の百貨店としてバブル崩壊後もそごうグループ全体の中で、徳島そごう単一なら充分、黒字経営だったと聞く。 

そごう本体の破綻、そして明石海峡大橋の開通

そしてそこそこ客が入る徳島そごうを見る限り、2000年、そごうグループ破綻は心底、驚いた。徳島そごうを見る限り、信じられない思いだった。

徳島だけなら黒字と聞き、破綻に巻き込まれるのは関係者はもちろん、われわれ客である県民も、理不尽な思いがしたものだ。

そして百貨店を支えているのは今も昔も流行の服を並べるファッションだが、鳴門ー明石ルートの全面開通で、多くの若者が土曜、日曜日、神戸、大阪へ向かったのも、徳島そごうの厳しい未来を暗示した。

西武傘下でもセブン&アイHD傘下でも県民には『徳島そごう』

2009年、そごう徳島店は西武グループの一員となり、関西の色から脱却、垢抜けしたものを期待したが、それも叶わなかった。その後、セブン&アイホールディングスの傘下云々といわれても、全く興味は失せていた。

つい数日前、このセブン&アイHDが、アメリカの石油精製会社の、コンビニを併設するガソリンスタンド部門「スピードウェイ」を、2兆円余りで買収することを決めましたとのニュースが流れた。

2兆円で買収とのニュースを聞き、ちょっといらっとした。大企業の論理の前に、ずっと支えてきた県民の気持ちは、かけらも届かないのだ。

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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