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徳島はやっぱり藍の故郷だ。五輪ジャパンブルー阿波藍が日本遺産に

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ジャパンブルーは阿波藍の色

ちょうど高校を卒業した頃、NHKの朝のテレビ小説で『藍より青く』というドラマがあった。
『青は藍より出でて藍より青く』というナレーションが印象的だった。

"青"の染色は藍の葉っぱより作られるが、藍よりずっと青くなるということだ。

このことは私たち徳島県民はよく知っている。今は藍を耕作している農家はごく僅かだが、撒かれた藍の種が育ち、刈り取られ、すくもになり、そして染料となり、最後は立派な藍染製品になるまでが、節目節目でニュースとなる。
そして東京五輪パラリンピックのエンブレムのカラーこそ、阿波藍の色なのだ。

 

藍で栄えた阿波徳島の豊穣の時代

藍で栄えた阿波の国であり明治時代の徳島だったが、このほど、阿波藍が文化庁の「日本遺産」に選ばれた。

21道府県の16件が新たに認定されたものだが、徳島県からも"阿波藍に関連する複数の文化財や栽培、藍染技術など"をひとまとめにし申請していた『藍のふるさと 阿波』が選ばれた。

どのくらい徳島に藍が豊かさをもたらしたか。例えば明治22年、市制が施行された時、徳島市は全国で10番目、今や政令都市の仙台市より大きかった。

今も昔も人口の多さは繁栄の裏付けだ。これも全て江戸時代からの阿波藍がもたらしたものだった。

藍商で名高い徳島の三木家、久次米家などは銀行も経営し、当時の財力は三井・三菱・住友の三大財閥にも勝るとも劣らない経済力があった。

からだに優しい藍をこれからも

化学繊維・化学染料の台頭で、阿波藍は一挙に衰退してしまったが、あくまでコストや量産で叶わなかっただけ。
阿波藍の素晴らしさが日本人に否定されたものでは決してなかった。

洗えば洗うほど色鮮やかになる染物が他にあるだろうか。藍のもつ抗菌力も見直されている。
とにかく化学物質が混入していない染色は、どれだけカラダに優しいか。

徳島には日本遺産としての阿波藍の伝統、文化をこれからも末永く守り育てていく責務あるだろう。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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