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憧れの女子校御三家にドキドキした僕らの高校時代

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名古屋市内は東西南北でいうと、東部がダントツで山の手であり、大学も密集しセレブ感が溢れていた。西部は町工場や昔からの商店が立ち並ぶ絵に描いたような下町で、南部は工業地帯、北部は完全な田舎だった。

高校時代はだいたい遊ぶ場所も二極化し、東部や中心部の連中はテレビ塔やサカエ地下のある栄が多かった。

あと私のように西部や南部、周辺の郡部から名古屋の高校に通う連中がブラブラするのは圧倒的に名古屋駅前だったのだ。

私などは本来、山の手の中学だから栄で遊ぶべきなんだが、高校に入るとき、親が郊外に家を建てたもんだから、通学の関係上、鈴木のマー坊とかと離れ西部の高校に進学した。

名古屋城や県庁、市役所周辺の高校は超名門校が多く、他の公立高校も垢抜けていた。
名古屋市は当時、すでに人口200万人だったが、県立、市立は僅か14校しかなく公立受験はかなり厳しかった。

反面、私立は通学圏となる周辺の郡部や岐阜、三重県の生徒も来るため、豊富にあった。ちなみに私は県立に合格したが、滑り止めに野球部が有名だった『東邦高校』を受験した。

マー坊と同じ愛知高校でも良かったが、当時、愛知高校は丸刈り強制だったのだ。

私立で特筆すべきはSSKと言われる"女子校御三家"のお嬢様学校の存在だろう。

『金城学院』『愛知淑徳』『椙山女学園』の3校で、いずれも学力も高く中学、高校、大学・短大まであった。
この3校は別格の存在で、名古屋の多くの男子高校生が憧れたものだ。

彼女たちと名古屋駅などターミナル駅で会うこは多かったが、金城はセーラー服で白線は太く、ミッション系だけに胸の真ん中に十字架?が神々しく光っていた。
何と高貴な!と、公立の僕らはドキドキで話しかけるのもままならなかった。

淑徳は紺色じゃなく水色に近いブルーのセーラー服が個性的で可愛かった。
椙山女学園は紺のジャンパースカートが文句なく魅力的だった。


中学の還暦同窓会をした時、金城学院高校に進学した2人が来ていたが、2人ともダンナの職業はドクターだった。
さもありなんと、マー坊たちと納得したものだ。
御三家への憧れは僕らの青春そのものだった。
(写真は僕らが遊んた当時の名古屋駅前と栄)

もりもとなおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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